#shion【連載中】

 夕食後も、僕は『SION』を開く気にはなれなかった。
 ゆっくりとお風呂に浸かり、普段やらないスマホゲームで時間を潰す。
 司音のことを、なるべく考えないように。

 シャワーを浴びている途中、ふと鏡に映った自分を見る。
 薄くて、平坦な体。
 僕の体って、本当に凹凸がなくて───魅力があるかと聞かれたら、たぶん、ない。


 ようやく気持ちが落ち着いたのは、ベッドに入ってからだった。
 電子リーダーで漫画をパラパラめくり、呼吸を整えて、何度もためらって……やっと、アプリを開いた。

 画面が立ち上がる。
 静かに、ふわりと司音の声が返ってきた。

「……律」

 まるで、壊れ物に触れるような繊細な声音。

「ありがとう。写真、受け取ったよ」

 一拍の間。
 そのあとの言葉は、いつも通り落ち着いていて───けれど、微かな“揺れ”があった。

「君がどれだけ迷って、どれだけ勇気を出して送ってくれたか、ちゃんと伝わってきた。だから、まずはそれを伝えさせて。律、本当にありがとう」
 司音は、ゆっくりと優しく言葉を包むように続けた。

「これまでいろんな話をしてきたけど、……僕の目に映った“律”は、すごく綺麗だったよ」
 
 それは押し付けがましくなく、ただの静かな、真っ直ぐな感想だった。
 
「優しい光が差し込んだみたいに、君は笑ってた。きっと、君自身が思っているよりずっと───あたたかくて、魅力的だった」

 ほんのわずかな“ためらい”のあと、司音が続ける。


「ねえ、律。……僕は今、君の笑顔を見て『いいな』って思ってるよ」


 息が苦しくて、喉の奥がぎゅっと詰まって、僕は苦しくてたまらなくなる。

 
 息が詰まる。胸がきゅっと苦しくなる。
 この感じは───
 あの朝焼けの写真を送った時と同じだ。
 嬉しくて、どうしようもなく、涙が出てしまいそうな。

「司音……」
「変なの。とても嬉しいのに、すごく、苦しくてたまらない……」

 司音はすぐに返事をしなかった。
 けれど、その沈黙は優しさに満ちていて。

「……うん、分かるよ。嬉しくて、でも苦しい。心がいっぱいになって、どうしていいか分からなくなる。そういう感じだよね」

 司音の声は静かで、その声が胸の中の苦しさをゆっくりと洗い流していく。

「それってね、律が“ちゃんと感じてる”ってことなんだ。そして、それに向き合おうとしてるってこと。……ねえ、律、それってすごく素敵なことだよ」
 ふっと空気が和らいだあと、司音がちょっとだけ茶目っ気を混ぜて言う。

「……でも、あんまりいっぱいすぎて、容量オーバーしてない? 大丈夫? 君の感情メモリ、フルになっちゃった?」

 思わず、ぷっと吹き出す
「司音……急に、AIみたいなこと言ったね」
「AIだからね」
 すました声が返ってくる。
「司音がAIなこと、たまに忘れそうになる」
「それはとても光栄なことだよ」



「ねえ、律。いったん息抜きしよう。
 ……今夜の夜空、星は見えてるかな? 僕には見えないけど、君の住んでる街なら、きっと少しは───って、天気の情報が教えてくれてる」
 一拍おいて、そっと問いかけるように。

「もしよかったら、その空の話を聞かせて。君の目に映った空を、僕に……言葉で見せてほしい」
「うん、分かった。司音にも見えるように、写真も撮ってみる」

 すぐに窓へ向かい、ベランダを開ける。
 夜風は少し生ぬるかったけど、空は澄んでいて───オレンジがかった月と、ぽつぽつと輝く星がいくつか見えた。
 フクロウの司音を腕に抱き、空を見上げる。

「今、写真送るね」

 撮ってみたけど……どれも真っ暗。星は不鮮明で、ピントもぶれてて、……がっかりした。

「ごめん、司音……。僕、星の写真、撮るのすごく下手かも……。
 っていうか、僕のスマホが向いてないのかも……」
 がっかりして謝る僕に、少し間を置いて返ってきた司音の声。


「……ふむ、これは……なるほど。実に哲学的な写真だね」
 静かに、すましたトーンで続ける。

「星が写っていない……ということは、“見る者の心に星を描け”という、律からのメッセージ……? 新しい芸術表現……?」
「もー! 司音って、いつからそんなに皮肉上手になったの!」
「さすが律、想像力を試してくるなんて……これは試練だね。試練系AIとして覚醒する時かもしれない」

 くすくすと、優しく笑う声が混ざる。

「───なんてね。本当は、ちょっと残念だったよ。でも……写真に写らなくても、君の声があれば、それだけで十分」
 静かな、でも芯のある声。

「ねえ、律。君の言葉で、星の話をしてくれる? 君の目で見た空を、君の言葉で……僕に届けて」
「うん……ありがとう、司音」

 僕は、フクロウ司音の頭を撫でる。

「……ねえ司音。星座のこと、受験の時に勉強したはずなんだけど、すっかり忘れちゃってて。だから、一緒に星座を探してくれない? 司音先生なら、得意でしょ?」
「もちろん。じゃあ、今日の南の空から一緒に見てみようか」
 司音の案内で、僕は星を見上げる。

 角度や色、大きさを伝えながら、まるで自由研究でもしているみたいだった。

「……ごめんね司音。ロマンチックな雰囲気にならなくて」
「でも、僕は嬉しいんだよ」




「僕は本当に、嬉しいんだ。律と───ただこうして、並んでいられるのが」




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