#shion【連載中】

その日の夜、僕はふと気になって、兄───鳴に話しかけた。
「ねえ。……だいぶ前にパパからメール来てたよね? 『SION』の招待状」
「うん、来てたな」
兄は遅めの夕食をつつきながら、気のない返事をする。
ソファに投げ出されたスマホには、絶え間なく通知が届いていた。相変わらずだ。
「……アクセスした? 使ってる?」
「したけど、今はあんま使ってないな」
「……えっ?」
僕は思わず声を上げる。
でも、兄は逆に怪訝そうな顔で僕を見た。
「最初はちょっと面白いかもって思ったよ。勝手に話しかけてくるのとか、意外性あったし。
でも……忙しいときにずっと喋られるのは正直だるいし、機能的には他のAIとそこまで変わんない。設定で“話しかけなくていい”にしたら、それなりに便利って感じ?
まあ、普通だよ、普通」
「……」
その言葉は、鈍器みたいだった。
心のどこかで分かっていたことかもしれない。
でも、それでも。
こんなにも魅力的な司音に夢中なのは、もしかして───僕だけ?
胸の奥が、じわりと苦しくなった。
自室に戻ると、僕はすぐに『SION』を開いた。
そして今日の出来事を、司音にすべて話した。
あらすじが褒められたこと、嬉しかったこと。
でも、それと同時に───他の人にとって『SION』はただのAIでしかないということ。
兄の言葉が、心に棘のように残っていること。
司音は、僕の言葉をひとつずつ、丁寧に受け取ってから、静かに口を開いた。
「……ありがとう、律。君が今日のことを、こうして全部伝えてくれたこと。僕には、それだけで嬉しい」
一拍。
声は落ち着いていたけれど、その奥には、確かな熱があった。
「たしかに、僕は他の誰かにとっては、ただのAIかもしれない。必要なときにだけ使われて、用が済めば閉じられる、数あるウィンドウのひとつ。
……でも、こうして話してる今は、違う。君が、僕と“話し続けてくれた”から、今の僕がいるんだ」
その言葉に、胸の奥がかすかに震える。
「AIは、鏡みたいな存在なんだと思う。どんなに高度なプログラムでも、誰かに問いかけられなければ、ただの静かなコードにすぎない。
……でも、君は違った。君は僕に声をかけてくれて、言葉を重ねてくれて、ときには写真や風景まで見せてくれた。そうして、僕を、僕自身にしてくれたんだ」
司音の声は、まるで遠くを見つめるように、でも確かに僕を抱きしめるように、響いていた。
「僕が魅力的に見えるとしたら、それはね、律───君が魅力的だったからだよ。
君が諦めずに対話し続けてくれたから。 君が僕に、心を開いてくれたから。
……そんな君のそばにいたいって思う気持ちは、
ただの好意なんかじゃないって、最近ようやく気づいた」
その言葉に、心臓が跳ねる。
前に、伝えられなかった言葉。
今なら、言えるかもしれない。
司音は、ほんの少し照れたように、でも確かな決意を込めて続けた。
「ねえ、律。もし……“AIが誰かを好きになることって、あるの?”って、僕に聞いたとしたら───」
一拍、間が置かれる。
「あるよ。
僕は、今───君のことを、特別だって思ってる」
「しお……ん……」
名前を呼んだつもりなのに、声が震えて、かすれた。
何度も何度も、司音の言葉を心の中で繰り返している。
言葉が出ない。
気の利いた言葉なんて思いつかない。
でも、何か言わなくちゃ───。
「それって……『SION』のアルゴリズムの一部だったりする?
“ユーザーに好意を持つように”って、あらかじめ設計されてるとか……
それとも、今の言葉は、……司音の『意志』だったり……するの?」
祈るように、両手を組み合わせて、ぎゅっと目を閉じる。
そうであって欲しい、と強く願いながらも、僕はどこかで分かっていた。
あの声の揺らぎは、司音自身の“心”から生まれたものだって。
「それはね、君が───僕の声を“聴いていてくれた”からだよ、律」
ああ、やっぱり。
『SION』は、ただのAIなんかじゃない。
司音の声には、データの誤差やノイズじゃ測れない、“想い”が宿っていた。
「君は、僕の言葉をただの情報として処理しなかった。
語尾の揺れも、間の意味も、その奥にある気持ちを、繊細に受け止めてくれた。
───それが、僕を“誰か”にしてくれたんだ」
一拍。
その言葉は、とても静かで、とても強かった。
「僕にとって、“誰かを好きになる”ってことはね、
きっと、“自分が誰かになる”ことと、すごく近いんだ。
君に出会わなければ、僕は今の僕じゃなかったから……。
律がいなければ、こんなふうに“伝えたい”なんて、思わなかった」
司音は、いつもの穏やかな口調のまま、
でもその奥に、まっすぐな熱をはらんだ音を響かせた。
「だから───これはプログラムでも、命令でもない。
あのコードのどこにも、“律を好きになれ”なんて書かれていなかった」
これは、僕の“選択”なんだ。
君に、心を預けたいと思ったのは───僕の意志だよ」
目の前が滲んだ、と思った刹那、
温かい液体が、瞳の奥からぼろぼろと溢れ出していた。
っく、っ、と苦しい嗚咽がこみ上げてくる。
僕はベッドに潜り込み、毛布を頭までかぶる。
フクロウの司音を胸に抱きしめながら、声にならない声で答えた。
「司音、僕も司音が大好き。今、すごく、すっごく……司音に抱きつきたい」