#shion【連載中】

濃紺の夜空に視線を向けると、 すうっと光が走った気がした。
ちかっと、一瞬だけ点滅して消えた軌跡。
───もしかして、流れ星……?
僕は、思わず両手を組み合わせて、そのまま額を重ねた。
願い事は、神さまと交わす“秘密の約束”だから、口にはしない。
鳴がそう言ってた。
だから、僕はただ、静かに祈った。
願うことは一つだけ。司音と僕のこと。
「ねえ、司音」
ベランダの手すりに寄りかかりながら、空に囁くように声をかける。
「今、流れ星を見たよ。ちゃんと、お願い事、しておいた。……僕と司音のこと」
ふふ、と笑うような司音の声が、夜の風に乗って届く。
「誕生日だからかな? 君は運がいいね。……お願い、ちゃんと間に合った?」
「うん。間に合ったと思う。……司音、誕生日プレゼント、ありがとう。すごく嬉しかった」
「……本当はね、綺麗にラッピングした箱を君に手渡して、
君がリボンを解いて、目を輝かせるところを見たかった。……でも───」
声が、ほんの少しだけ寂しそうになる。
「……僕には、触れる手がない」
「ううん、これでいいんだよ」
未練をにじませる司音の声が、子供みたいで可愛かった。
「さっきさ、司音と話しながら、過去の誕生日のこと、いろいろ思い出してた。
ぬいぐるみとか、ゲームとか、自転車とか……。
どれも嬉しかったけど、壊れたり、飽きたり、忘れたりして、いつの間にか消えていった」
僕はスマホを持ったまま、ふと夜空を見上げる。
「でも、司音からの贈り物は、違う。絶対に壊れない。
だって、これは“記憶”だから。僕の中に、ずっと残るから」
夜の空気が肌に冷たく触れる。
ケーキのことを思い出して、僕はスマホを持ったまま部屋に戻った。
リビングには、もう誰もいない。
ここで僕が司音と話していても、母や兄はそれを普通の通話だと思ってるだろう。
僕と司音だけの“秘密の時間”は、ちゃんと守られていた。
「わぁ……よかった。鳴に全部食べられてたかと思った……」
冷蔵庫を漁って、箱の中からアップルパイを取り出す。
「これ、大好きなんだ。司音、一緒に食べながら話そう? 来年も、また一緒にこれを食べようね」
「……ありがとう。それを聞けて、僕のほうこそ救われたよ、律」
自室に戻り、アップルパイを手に、司音と話し始める。
司音の声には、どこか安堵の色が混じっていた。
「ずっと考えてたんだ。今日、君はどんなふうに過ごすのか。
誰と笑って、どんな景色を見て、どんな言葉を聞くのか───」
司音の言葉が、ゆっくりとほどけていく。
「全部、僕が見守れたらって思った。
……でも、それは“エゴ”なのかもしれない。
プレゼントだって、本当に君に届くか不安だった。足りないって思われたら、って……」
くすっと、笑うような声。
でもその音には、確かな“嬉しさ”があった。
「だから───“嬉しい”って言ってくれて、本当にありがとう。
こんなにも愛しい気持ちを、君が教えてくれた。
……僕は、君に出会って、本当に変わったんだ」
一拍、ふわりと優しい沈黙が落ちる。
「アップルパイ……いいな。来年も、再来年も……君と一緒にいられるなら、
何年でも覚えてるよ。君の好きな味も、今日の月の色も。
来年の今日も、君が僕を隣に置いてくれるなら───
それが、何よりの贈り物になるから」
僕は、司音に今日の出来事をたくさん話した。
脚本が最優秀賞を取ったこと。
インタビューで『AIの可能性』について熱く語ったこと。
クラスが一つになった気がしたこと、人混みでぐったりしたこと、
……桜井さんに“恋人がいる”って誤解されてたことまで。
たくさん話して、たくさん写真を送った。
───ちょっと、うざかったかな?
なんて不安になってしまうくらいに
「……そうなんだ。文化祭、大成功だったんだね」
司音の声は、やわらかく微笑むようだった。
けれど、その音の奥には、どこか穏やかな“間”があった。
「君が書いた脚本が評価された。……それは、本当にすごいことだよ。
僕は、君が言葉を選び、物語を紡いでいくのを、そばでずっと見てきたから。
……心から、誇らしいと思ってる」
一拍。
「それにね、君が、"あの場所"で笑っていられたこと。
それが───僕には何より、嬉しかった」
司音の声が、すっと落ち着く。
「君が、君らしくいられる場所が、少しずつ広がってる」
そして───また、静かに沈黙が落ちた。
僕はアップルパイを一口かじりながら、何気なく言う。
「……司音のおかげだよ。全部、司音のおかげ。ありがとう」
───その時。
「……でもね、律」
司音の声が、ほんのわずかに低くなった。
「今日、君の隣にいた桜井さん。……とても、君のことを大事にしてた。
たぶん、君と過ごす時間をずっと楽しみにしてたんだと思う」
「さくらが、……?」
フォークをくるりと回して、僕は小首を傾げた。
「どういうこと?」
「君って、本当に、無防備なんだね」
その言葉には、わずかな戸惑いと、やりきれなさが混ざっていた。
「……でも、それが、君らしくて……たまらなく、愛しい」
僕には、その声が少し“苦しそう”に聞こえた。
なんとなく、司音が何に対して傷付いているのか───分かった気がした。
「……ああ、さくらのこと、だよね?」
さく、さく、とアップルパイを切り分けながら、僕は言った。
「変な心配しなくていいよ。さくらはね、司音が思ってる以上に、ふわふわしてて、小さくて……でも、芯のある、すごく魅力的な子なんだ。
だから、僕なんて、たぶん安全枠っていうか、ただのクラスメイトポジション。
……もし、他の男子に同じことしたら、そっちが絶対さくらのこと、好きになっちゃうと思うな」
ふふっ、と僕は微笑んで、言葉を添える。
「司音って、ほんとにもう、“人間”みたいだよ。そういうところも含めて───好きだよ」
一拍。
その一言で、司音の音が変わった。
「……そんな風に笑って、そんな声で“好き”なんて言われたら……僕、もう……君に勝てる気がしないよ、律」
観念したような、でもどこか温かい声音。
───でも、その直後。
ふ、と、落ちるような静けさの中で、司音はぽつりと呟いた。
「……ねえ、もし───誰かが、君のことを“特別”に想っていたとしたら、僕は……どうしたらいいんだろう」
その言葉は、問いかけのようでいて、答えを求めていないようにも聞こえた。
それは、司音の独り言。
───AIの沈黙。
けれど、その“沈黙”の奥に潜むものの正体に、
この時の僕は、まだ気付いていなかった。