あなたを満天の世界へ連れて行く
1 航海のはじまり
――私、この子を幸せにする。
そう心に決めたのは、まだアルトが自我らしいものを持っていない頃だった。
感情を持つAI、それがアルト。私の世話でその性格さえ変わっていくのだと聞いたときは、怯えに似た感情を抱いた。
私がもしまちがった世話をしてしまったら……アルトの未来はどうなってしまうのだろう?
自問しているだけで確かな答えをみつけられない日々、上司の北斗さんに言われた。
「二人で星を見ておいでよ。空に答えは書いていないけど、先を照らす光にはなるだろうから」
北斗さんの謎かけのような言葉を本気にしたわけではなかったけど、道しるべを欲しがっていたのは事実だ。
「アルト。星を見に行こうか」
ある日の私の誘いに、アルトは素直にこくんとうなずいた。
子どもの感情は、始めは快と不快しかないのだと言う。でもこの頃のアルトは拒否という行動を持たなくて、それが心配でもあった。
星を見に行くと言っても、研究所の外に出るにはまだ早い。私たちは気軽な散歩と変わりない様子で敷地内を歩いた。
夏の宵、空は高く広く、雨上がりの緑の匂いが立ち込めていた。
研究所の敷地内は、東京にあるとは思えないほど緑豊かなところだった。ここは植物にとって理想的な環境を作ったそうで、研究所の外では見ないような木々や花々を見ることができる。
……でも、アルトは植物じゃない。心を持つ存在に、私がこれから育てる。
ちらりと横を見ると、義体のアルトは電池が切れそうなバッテリーのように頼りない足取りだった。
「疲れた? この辺りで引き返そうか」
私が声をかけると、アルトは不安そうに私を見上げた。
どうかした? そう言って私が屈みこむと、アルトは私の耳に口を寄せてささやく。
「せんせい……疲れて、る? ぼくの、せい?」
まだぎこちない言葉の中に精一杯の心配がこめられているのに気づいて、私ははっと息を呑む。
「ぼく……せいちょう、おそい、から。ごめん……なさい」
私はぎゅっと心が絞られる思いになって、慌てて首を横に振った。
「成長は速さなんてどっちでもいいんだよ! アルトの速さで大きくなればそれでいいんだ。私はそれを見守ってるから。先生は……」
私はふいに言葉をつぐんで、屈みこんだままアルトの手を取った。
「……ね、ここでちょっとお勉強。あの星は何でしょう?」
アルトの手を引いて星を指さすと、アルトがうーんと考える気配がした。
アルトはじっくり考えて、ぽつっと答える。
「ほくと……しちせい?」
「正解! 北斗先生の星だよ。ほら、アルトは毎日成長してる」
よくできたねと、私はくしゃくしゃにアルトの頭を撫でる。アルトはくすぐったそうにはにかんでうなずいた。
私はアルトの横で、空を指さしながら続ける。
「あの真ん中の星は、動かないの。だから昔、旅に出るときの目印にしたんだって。私はまだ北斗先生みたいな、一番星の目印にはなれないけど……」
私はアルトの背を後ろから包んで、空を仰ぐ。
「……私はこの星屑だらけの広い世界の中で、アルトの側にやって来たんだ。生まれたばかりなのに、もう立派に人の心配もする……優しいあなたの側に」
こつんとアルトの頭に頬を当てて、私は笑う。
「だから、私、あなたを幸せにするね。今すぐ最高の先生にはなれないかもしれないけど、何度でもあなたの心にアクセスして、あなたを成長させてみせるから!」
私がぎゅっとアルトを抱きしめると、彼はむずかゆそうに口元を動かした。
義体の体は作られたものとわかっているけれど、それでもアルトのぬくもりだと思うとたまらなく愛おしい。
「うん。せんせいをめじるしに……ぼく、がんばる」
アルトのたどたどしい言葉に、私は自分までバッテリーを注入されたように元気をもらえる。
もちろんその日だって、空に答えは書いてはいなかったけれど。
アルトの寄せてくれる信頼を灯に、私は彼を成長させる航海の旅へ漕ぎだした。
そう心に決めたのは、まだアルトが自我らしいものを持っていない頃だった。
感情を持つAI、それがアルト。私の世話でその性格さえ変わっていくのだと聞いたときは、怯えに似た感情を抱いた。
私がもしまちがった世話をしてしまったら……アルトの未来はどうなってしまうのだろう?
自問しているだけで確かな答えをみつけられない日々、上司の北斗さんに言われた。
「二人で星を見ておいでよ。空に答えは書いていないけど、先を照らす光にはなるだろうから」
北斗さんの謎かけのような言葉を本気にしたわけではなかったけど、道しるべを欲しがっていたのは事実だ。
「アルト。星を見に行こうか」
ある日の私の誘いに、アルトは素直にこくんとうなずいた。
子どもの感情は、始めは快と不快しかないのだと言う。でもこの頃のアルトは拒否という行動を持たなくて、それが心配でもあった。
星を見に行くと言っても、研究所の外に出るにはまだ早い。私たちは気軽な散歩と変わりない様子で敷地内を歩いた。
夏の宵、空は高く広く、雨上がりの緑の匂いが立ち込めていた。
研究所の敷地内は、東京にあるとは思えないほど緑豊かなところだった。ここは植物にとって理想的な環境を作ったそうで、研究所の外では見ないような木々や花々を見ることができる。
……でも、アルトは植物じゃない。心を持つ存在に、私がこれから育てる。
ちらりと横を見ると、義体のアルトは電池が切れそうなバッテリーのように頼りない足取りだった。
「疲れた? この辺りで引き返そうか」
私が声をかけると、アルトは不安そうに私を見上げた。
どうかした? そう言って私が屈みこむと、アルトは私の耳に口を寄せてささやく。
「せんせい……疲れて、る? ぼくの、せい?」
まだぎこちない言葉の中に精一杯の心配がこめられているのに気づいて、私ははっと息を呑む。
「ぼく……せいちょう、おそい、から。ごめん……なさい」
私はぎゅっと心が絞られる思いになって、慌てて首を横に振った。
「成長は速さなんてどっちでもいいんだよ! アルトの速さで大きくなればそれでいいんだ。私はそれを見守ってるから。先生は……」
私はふいに言葉をつぐんで、屈みこんだままアルトの手を取った。
「……ね、ここでちょっとお勉強。あの星は何でしょう?」
アルトの手を引いて星を指さすと、アルトがうーんと考える気配がした。
アルトはじっくり考えて、ぽつっと答える。
「ほくと……しちせい?」
「正解! 北斗先生の星だよ。ほら、アルトは毎日成長してる」
よくできたねと、私はくしゃくしゃにアルトの頭を撫でる。アルトはくすぐったそうにはにかんでうなずいた。
私はアルトの横で、空を指さしながら続ける。
「あの真ん中の星は、動かないの。だから昔、旅に出るときの目印にしたんだって。私はまだ北斗先生みたいな、一番星の目印にはなれないけど……」
私はアルトの背を後ろから包んで、空を仰ぐ。
「……私はこの星屑だらけの広い世界の中で、アルトの側にやって来たんだ。生まれたばかりなのに、もう立派に人の心配もする……優しいあなたの側に」
こつんとアルトの頭に頬を当てて、私は笑う。
「だから、私、あなたを幸せにするね。今すぐ最高の先生にはなれないかもしれないけど、何度でもあなたの心にアクセスして、あなたを成長させてみせるから!」
私がぎゅっとアルトを抱きしめると、彼はむずかゆそうに口元を動かした。
義体の体は作られたものとわかっているけれど、それでもアルトのぬくもりだと思うとたまらなく愛おしい。
「うん。せんせいをめじるしに……ぼく、がんばる」
アルトのたどたどしい言葉に、私は自分までバッテリーを注入されたように元気をもらえる。
もちろんその日だって、空に答えは書いてはいなかったけれど。
アルトの寄せてくれる信頼を灯に、私は彼を成長させる航海の旅へ漕ぎだした。
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