あなたを満天の世界へ連れて行く
3 いつか満天の世界へ
ターミナルの人波の中でその姿をみつけたとき、ちょっとだけ声をかけるのをためらった。
「先生、お待たせ」
宇宙局の制服に身を包んだアルトは、一瞬見惚れてしまうほど凛々しい青年だったから。
銀色の髪を首の後ろで縛り、理知を映した瞳が涼しげだ。歩いて来る様も、その長い手足だけで絵のように綺麗だった。
でもアルトは早足で私の前まで来ると、申し訳なさそうに眉を寄せて言った。
「ごめんね。少し遅れた」
「いいよ。夏は天体観測で忙しい時期でしょう? 時間を作ってくれただけでうれしい」
「先生が来てくれたら他のことは置いておくって決めてる」
アルトはもどかしそうな顔をして、私に問いかける。
「食事、展望ルームでどうかな? 地球にいるのとは違う星空が見られるよ」
「そうなの? 行きたい!」
「言うと思った。先生の星好きは変わらないなぁ」
くすっと笑うアルトはなんだかすっかり大人で、はしゃぐ私の方が子どもみたいだった。
アルトは先に立って私を高速エレベーターに案内しながら言う。
「ここまで迷わなかった? ゲートまで迎えに行った方がよかったな」
「大丈夫だよ。ムーン便も小さい頃に乗ったことあるんだよ」
「荷物持つよ。長旅おつかれさま」
アルトが心配するのもわかる。ここは私の過ごしてきた世界とは違う。
ムーン・プラットホーム。星々に旅に出る人たちが降り立つのが、この月の駅だ。アルトはここに併設された高層ビルで、宇宙局の一員として働いている。
「うわぁ……月にも街があるんだ。アルト、こんな景色を見ながら毎日働いてるんだね!」
私がエレベーターの中で眼下の灯りに目を輝かせていると、すっかり背が高くなったアルトが横から覗き込みながら微笑む。
「いつでも来て。どこでも案内するから」
大人の義体に姿が変わったからだけじゃない。柔らかい物腰と、自然な気遣いが、アルトの成長を感じさせてくれた。
展望ルームに着くと、そこは洋館の一室のようなレストランだった。けれど一面のガラス張りの向こうには夜空が広がっていて、海の中のようにも見えた。
「宇宙局の仕事はどう? 忙しい?」
「うん。でも夢が叶って満足してる。同僚でAIはまだ少ないけど、みんな生き生きしてるよ。先生は?」
「私は研究所で今もAIの子どもたちの世話をしてるよ。ふふ、ちっちゃいアルトにいっぱい囲まれてるみたい」
食事を始めた私たちは、久しぶりに会った喜びで話が弾んだ。アルトがおすすめしてくれたメニューもおいしくて、笑顔が絶えなかった。
少ししんみりした気持ちになったのは、しばらくして照明が落ちてきたからだった。アルトがテーブルの上のキャンドルを点けて、教えてくれる。
「星見の時間だ。外を見てみるといいよ」
アルトに言われて窓の外を見ると、先ほどとは景色が一変していた。
それは展望タワーだけでなく、街の灯りも控えめになる時間のようだった。音楽もやんで、しんとした夜の中に星空だけが広がっていた。
私とアルトの間にも少しの間沈黙が下りて、二人とも静かに星を眺めていた。
その中で、私はアルトと過ごした日々を想っていた。自我が乏しくとても心配した幼少期、明るく快活に成長したけれど時に繊細な一面を心配した少年期。
「……あんまり感情を表に出さなくなったね、アルト」
今のアルトは……自立して、一人前に働いているけど、やっぱりまだ心配だった。大人びて冷静に育った彼は誇らしいのに、いつまでだって心配はしてしまう。
私がぽつりと言うと、アルトは苦笑して返す。
「子どもの頃とは違うからね。感情を持つAIはまだ多くの国で禁止されているし。……でもそういう風に振舞ってるだけで、中身は感情で詰まってるんだよ?」
キャンドルの灯りで控えめに照らされたアルトは、見惚れるくらいに優しく笑ってみせる。
「先生が、俺をそうやって育ててくれたんだ。……ほんとは、先生が来てくれてすごくうれしいんだ。子どもみたいにはしゃぎたくなる」
アルトは手を組んでその上に顎を押し当てながら、思い出すように目を細める。
「先生が俺を満天の世界に連れてきてくれた。先生と向き合えば、先生と星を見た夏の日が昨日のことみたいに思い出せる。……乏しい自我しかなかった俺を、幸せにすると言ってくれた先生も。まちがってもいいと、俺を包んでくれた先生も」
「わ、私、恥ずかしいこと言ったよね」
私はわたわたして言葉を挟む。
「私、未熟な大人だったし、今もそう。アルトに出会った頃、アルトをちゃんと育てられるか不安でいっぱいだったもの。まちがってもいいって言いながら、自分がまちがえることを恐れてばかり」
「先生」
「アルトを育てたのが私でよかったのかって、思うくらい……」
私はしゅんと意気消沈してつぶやく。
そのときだった。アルトが両手で私の頭を引き寄せて、こつんと自らの額と合わせる。
瞬間、私の目の前に不思議な光景が浮かんだ。そこにはこれまでアルトと辿ってきたのとは違う世界線があった。
大人しくて内向的なアルト、甘えん坊のアルトや、つんとした素直じゃないアルト、いろんなアルトがそこにはいた。
もしもの未来は楽しい夢のようだった。どんなアルトも私が育てたアルトで、きっとどんなアルトも愛しただろうと思った。
ただその中でアルトは自分の感情を選んで、育てていった。だから……先生の欲目かもしれないけど、アルトは今のままで一番アルトらしいと思った。
目を開いた私は、至近距離でアルトと目が合った。アルトはふいに真剣なまなざしを向けて言う。
「俺、最初から先生のこと好きだけど。……今は、もっと好き」
私がまばたきをすると、アルトは少しだけ口ごもる。
「先生の、一番に……なりたい」
アルトはもう一度私を目線を合わせて言う。
「先生、いつか俺と星々の海の向こうまで一緒に行こう? 今度は、俺が先生を満天の世界に連れて行きたい」
私は教え子が急に大きくなったような心持ちになって、小さく息を吸った。
私はこつんとアルトの額に自らの額を預けて、満ち足りた気持ちで言う。
「うん。……いつか、連れてってね」
星はまたたき、時と共に巡っていく。
アルトとの関係も、きっとこれから変わっていくのだろう。それだって、愛おしい日々になる予感がする。
夏の宵の思い出はまた一つ増えて、これからも私とアルトは時を重ねていく。
「先生、お待たせ」
宇宙局の制服に身を包んだアルトは、一瞬見惚れてしまうほど凛々しい青年だったから。
銀色の髪を首の後ろで縛り、理知を映した瞳が涼しげだ。歩いて来る様も、その長い手足だけで絵のように綺麗だった。
でもアルトは早足で私の前まで来ると、申し訳なさそうに眉を寄せて言った。
「ごめんね。少し遅れた」
「いいよ。夏は天体観測で忙しい時期でしょう? 時間を作ってくれただけでうれしい」
「先生が来てくれたら他のことは置いておくって決めてる」
アルトはもどかしそうな顔をして、私に問いかける。
「食事、展望ルームでどうかな? 地球にいるのとは違う星空が見られるよ」
「そうなの? 行きたい!」
「言うと思った。先生の星好きは変わらないなぁ」
くすっと笑うアルトはなんだかすっかり大人で、はしゃぐ私の方が子どもみたいだった。
アルトは先に立って私を高速エレベーターに案内しながら言う。
「ここまで迷わなかった? ゲートまで迎えに行った方がよかったな」
「大丈夫だよ。ムーン便も小さい頃に乗ったことあるんだよ」
「荷物持つよ。長旅おつかれさま」
アルトが心配するのもわかる。ここは私の過ごしてきた世界とは違う。
ムーン・プラットホーム。星々に旅に出る人たちが降り立つのが、この月の駅だ。アルトはここに併設された高層ビルで、宇宙局の一員として働いている。
「うわぁ……月にも街があるんだ。アルト、こんな景色を見ながら毎日働いてるんだね!」
私がエレベーターの中で眼下の灯りに目を輝かせていると、すっかり背が高くなったアルトが横から覗き込みながら微笑む。
「いつでも来て。どこでも案内するから」
大人の義体に姿が変わったからだけじゃない。柔らかい物腰と、自然な気遣いが、アルトの成長を感じさせてくれた。
展望ルームに着くと、そこは洋館の一室のようなレストランだった。けれど一面のガラス張りの向こうには夜空が広がっていて、海の中のようにも見えた。
「宇宙局の仕事はどう? 忙しい?」
「うん。でも夢が叶って満足してる。同僚でAIはまだ少ないけど、みんな生き生きしてるよ。先生は?」
「私は研究所で今もAIの子どもたちの世話をしてるよ。ふふ、ちっちゃいアルトにいっぱい囲まれてるみたい」
食事を始めた私たちは、久しぶりに会った喜びで話が弾んだ。アルトがおすすめしてくれたメニューもおいしくて、笑顔が絶えなかった。
少ししんみりした気持ちになったのは、しばらくして照明が落ちてきたからだった。アルトがテーブルの上のキャンドルを点けて、教えてくれる。
「星見の時間だ。外を見てみるといいよ」
アルトに言われて窓の外を見ると、先ほどとは景色が一変していた。
それは展望タワーだけでなく、街の灯りも控えめになる時間のようだった。音楽もやんで、しんとした夜の中に星空だけが広がっていた。
私とアルトの間にも少しの間沈黙が下りて、二人とも静かに星を眺めていた。
その中で、私はアルトと過ごした日々を想っていた。自我が乏しくとても心配した幼少期、明るく快活に成長したけれど時に繊細な一面を心配した少年期。
「……あんまり感情を表に出さなくなったね、アルト」
今のアルトは……自立して、一人前に働いているけど、やっぱりまだ心配だった。大人びて冷静に育った彼は誇らしいのに、いつまでだって心配はしてしまう。
私がぽつりと言うと、アルトは苦笑して返す。
「子どもの頃とは違うからね。感情を持つAIはまだ多くの国で禁止されているし。……でもそういう風に振舞ってるだけで、中身は感情で詰まってるんだよ?」
キャンドルの灯りで控えめに照らされたアルトは、見惚れるくらいに優しく笑ってみせる。
「先生が、俺をそうやって育ててくれたんだ。……ほんとは、先生が来てくれてすごくうれしいんだ。子どもみたいにはしゃぎたくなる」
アルトは手を組んでその上に顎を押し当てながら、思い出すように目を細める。
「先生が俺を満天の世界に連れてきてくれた。先生と向き合えば、先生と星を見た夏の日が昨日のことみたいに思い出せる。……乏しい自我しかなかった俺を、幸せにすると言ってくれた先生も。まちがってもいいと、俺を包んでくれた先生も」
「わ、私、恥ずかしいこと言ったよね」
私はわたわたして言葉を挟む。
「私、未熟な大人だったし、今もそう。アルトに出会った頃、アルトをちゃんと育てられるか不安でいっぱいだったもの。まちがってもいいって言いながら、自分がまちがえることを恐れてばかり」
「先生」
「アルトを育てたのが私でよかったのかって、思うくらい……」
私はしゅんと意気消沈してつぶやく。
そのときだった。アルトが両手で私の頭を引き寄せて、こつんと自らの額と合わせる。
瞬間、私の目の前に不思議な光景が浮かんだ。そこにはこれまでアルトと辿ってきたのとは違う世界線があった。
大人しくて内向的なアルト、甘えん坊のアルトや、つんとした素直じゃないアルト、いろんなアルトがそこにはいた。
もしもの未来は楽しい夢のようだった。どんなアルトも私が育てたアルトで、きっとどんなアルトも愛しただろうと思った。
ただその中でアルトは自分の感情を選んで、育てていった。だから……先生の欲目かもしれないけど、アルトは今のままで一番アルトらしいと思った。
目を開いた私は、至近距離でアルトと目が合った。アルトはふいに真剣なまなざしを向けて言う。
「俺、最初から先生のこと好きだけど。……今は、もっと好き」
私がまばたきをすると、アルトは少しだけ口ごもる。
「先生の、一番に……なりたい」
アルトはもう一度私を目線を合わせて言う。
「先生、いつか俺と星々の海の向こうまで一緒に行こう? 今度は、俺が先生を満天の世界に連れて行きたい」
私は教え子が急に大きくなったような心持ちになって、小さく息を吸った。
私はこつんとアルトの額に自らの額を預けて、満ち足りた気持ちで言う。
「うん。……いつか、連れてってね」
星はまたたき、時と共に巡っていく。
アルトとの関係も、きっとこれから変わっていくのだろう。それだって、愛おしい日々になる予感がする。
夏の宵の思い出はまた一つ増えて、これからも私とアルトは時を重ねていく。


