許しの花と愛のカタチ

その頃、蓮斗の元には、放火事件に関する調査の最終報告が届いていた。そこには、内金利己の壮絶な半生が記されていた。医師と看護師である両親のダブル不倫、育児放棄。近所の幸せな家庭だった芹沢家への羨望と嫉妬。碧葉の父の子供になりたいという歪んだ願望が生んだ、凶行。そして、彼女自身も知らなかったであろう、両親がそれぞれの不倫相手に殺害されていたという衝撃の事実。男に裏切られ、絶望の淵で碧葉に救われたという思い込み。
全ての点が線で繋がり、利己の狂気の根源が明らかになる。それは、誰にも愛されなかった少女の、悲しい心の叫びだった。
碧葉の告白は、利己の耳にも入っていた。碧葉の後を常につけ回していた彼女は、屋上でのやり取りの一部始終を立ち聞きしていたのだ。
「碧葉様が、あんな女に…告白…?『好きだ』って…?」
利己の世界が、ガラガラと音を立てて崩れていく。碧葉は自分を救ってくれた王子様。自分だけのもののはずだった。それを、あの醜い女が奪おうとしている。
(許さない。許さない。お前さえいなければ、碧葉様は私のものになるのに!)
彼女の心の中で、最後の理性の糸がぷつりと切れた。
翌日の夕方。
仕事を終え、病院の薄暗い地下駐車場に向かう忍の背後から、利己が音もなく現れた。その手には、事務室から盗み出したカッターナイフが鈍い光を放っている。
「お前のせいだ」
背後からの声に、忍が振り返る。そこに立っていたのは、虚ろな目をした利己だった。
「お前が碧葉様を誑かした。お前さえいなければ!」
憎悪に歪んだ顔で、利己が飛びかかってくる。忍が身を固くした、その瞬間。
「危ない!」
鋭い声と共に、忍の前に飛び込んできた影があった。碧葉だった。
忍に嫌がらせが続いていることを案じた蓮斗から連絡を受け、心配で迎えに来ていたのだ。
身を挺して忍を庇う碧葉。その姿は、かつて業火の中で自分を庇ってくれた少女の背中と、鮮やかに重なった。
「邪魔するなぁっ!」
利己は逆上し、碧葉の腕を切りつける。鮮血が飛び散り、忍は息を呑んだ。
「やめなさい!」
忍は怯むことなく、利己の腕を掴み、カッターナイフを叩き落とそうともみ合いになる。そこに、物音を聞きつけた警備員たちが駆けつけてきた。
数人がかりで取り押さえられながらも、利己は虚ろな目で碧葉を見つめ、何かを呟き続けていた。
「離して!私は碧葉様を、あんな女から守らないと…!」
その目は、もはや正気の色を失っていた。長年の罪が、歪んだ愛の果てに暴かれた瞬間だった。
パトカーが遠ざかっていくサイレンの音を聞きながら、碧葉はその場に座り込んだ。腕の痛みよりも、忍を危険に晒してしまった無力感と、彼女を傷つけた利己への複雑な感情が渦巻いていた。
そんな碧葉の腕に、忍がそっとガーゼを当てる。
「…大丈夫?」
その声は、震えていた。
「すまない…。僕のせいで…」
「違う」
忍は静かに首を振った。
「あなたが来てくれなかったら、どうなっていたか…」
碧葉は、絞り出すような声で言った。
「…今度こそ、君を守れた、と思ったのに…。また、君を傷つけてしまった…」
マスクの下で、忍が唇を噛みしめているのがわかった。眼
帯で隠された左の目から、一筋の涙が流れ落ちるのを、碧葉はただ見つめることしかできなかった。

< 10 / 16 >

この作品をシェア

pagetop