許しの花と愛のカタチ

昴との再会から数日、蓮斗は重い沈黙を守っていた。碧葉に真実をどう伝えるべきか、答えが出ずにいたからだ。
息子の恋心が、皮肉にも全ての関係者を苦しめている。その事実が、蓮斗の胸を締め付けた。
そんな養父の苦悩を知る由もなく、碧葉の忍への想いは、もはや誰にも止められない奔流となっていた。
彼女の拒絶は、碧葉にとって謎そのものだった。なぜ、あれほどまでに自分を遠ざけるのか。
その理由を知りたい。
そして、彼女の心の氷を溶かしたい。その一心で、碧葉は無謀な賭けに出ることを決意した。

仕事を終え、夜の病院の屋上へと向かう忍の背中を、碧葉は静かにつけた。
冷たい夜風が吹き抜ける屋上で、忍はフェンスに寄りかかり、眼下に広がる街の灯りをただ黙って見つめていた。
マスクと眼帯で覆われていても、その横顔には深い孤独が滲んでいる。

「海原先生」
碧葉の声に、忍の肩がびくりと震えた。
「…どうして、ここに」
「話が、あります」
碧葉はゆっくりと忍に近づき、彼女の隣に並んだ。そして、覚悟を決めたように口を開いた。
「二十年前の火事のことを、覚えていますか」
その言葉に、忍の空気が凍りついた。彼女の唯一見える右目が、信じられないものを見るかのように大きく見開かれる。
「何を…言っているんですか」
「あの日、僕を助けてくれたのは、あなただったんですね」
確信に満ちた碧葉の言葉に、忍は激しく動揺した。
「…人違いです。私は、何も知りません」
「嘘だ。その声、忘れるはずがない。二十年間、ずっと僕の耳から離れなかった声だ」
碧葉は一歩踏み込み、忍の腕を掴んだ。
「ずっと、探していました。あなたに会って、お礼が言いたかった。あなたのおかげで、僕は今、ここにいるんだと」
「やめてください!」
忍は腕を振り払い、後ずさる。その瞳は恐怖と混乱で揺れていた。
「あなたに会いたかった。そして、いつしかあなたに惹かれていた。僕はあなたが好きだ。あなたの声も、あなたの優しさも、あなたの抱える痛みも、全部…。あなたの傷も過去も全部、僕が愛したい。だから、僕のそばにいてほしい」
魂を絞り出すような告白。しかし、忍は涙を浮かべながら、静かに、だがはっきりと首を振った。
「あなたを不幸にした私が、あなたと幸せになる資格はない」
「不幸になんてなってない!僕はあなたに救われたんだ!」
「違う!」
忍は叫んだ。
「私は、あなたのご両親を救えなかった!目の前で、炎に呑まれていくのを見ていることしかできなかった!あなたを助け出したことで、私は生涯消えない傷を負い、あなたはたった一人になった!あれは救ったんじゃない…私は、あなたの人生をめちゃくちゃにしたんだ!」
初めて聞く、忍の感情の爆発。
その悲痛な叫びは、彼女が二十年間抱え込んできた罪悪感の重さを物語っていた。
「私に、これ以上罪を背負わせないで…」
そう言って背を向けた忍の肩は、小さく震えていた。その姿は、碧葉の胸を鋭く抉り、彼を無力感で打ちのめした。
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