許しの花と愛のカタチ
「どこから、話せばいいのか…」
昴は一度目を伏せ、遠い過去を手繰り寄せるように話し始めた。
「二十年前、お前の家が火事になった日…碧葉くんを助け出したのは、私の娘、忍なんだ」
その告白は、蓮斗の胸を鋭く突いた。
やはり、そうだったのか。
「あの日、忍は塾の帰りで、偶然お前の家の前を通りかかっただけだった。だが、家の中に子供がいると知るや、あの子は躊躇いもなく炎の中に飛び込んでいった。そして…碧葉くんの上に覆いかぶさり、崩れてきた梁から彼を庇って、顔に大火傷を負った」
昴の声が、苦痛に震える。
「病院のベッドで、まだ十二歳だったあの子は、泣きながら私に言ったんだ。『お願い、お父さん。私が助けたこと、あの子には絶対に言わないで。火事のせいで家族を亡くしたのに、私のせいで一生罪悪感を背負わせるなんて、そんなの残酷すぎる』と…」
その言葉を思い出すだけで、今も胸が張り裂けそうだった。娘の優しさが、あまりにも痛々しかった。
「私は、娘の願いを聞き入れるしかなかった。親友のお前を裏切るようで、毎日が地獄だったが、娘の心をこれ以上傷つけるわけにはいかなかったんだ。忍はそれ以来、心を固く閉ざしてしまった。あの子の人生から、光を奪ってしまったのは、他ならぬこの私だ…」
そして、と昴は続けた。
「妻、純那の心臓が、お前に移植されたとドナーコーディネーターから知らされた時…神はどこまで残酷な悪戯をするのかと天を仰いだ。君たち親子に、我々親子は近づいてはいけない。それが運命なのだと、そう思って今日まで生きてきた」
全ての真実が、二人の男の間に横たわる長い空白を埋めていく。
蓮斗は言葉もなく立ち上がると、昴の隣に座り、その肩を強く掴んだ。
「昴…。お前と、忍ちゃんが、俺と碧葉の命の恩人だったんだな…。すまなかった、何も知らずに…。お前は、たった一人でそんな重荷を…」
「いや…」
昴はかぶりを振った。
「謝るのは私の方だ、蓮斗。お前をずっと苦しませてしまった。親友だと言いながら、一番辛い時にお前のそばにいてやれなかった…。それがずっと、私の心に突き刺さっていた」
「そんなことはない!」
蓮斗の声が震える。
「お前は、娘さんの心を必死で守っていたんだろう。父親として、当たり前のことじゃないか。俺だって、もし同じ立場だったら…きっと同じことをした」
蓮斗の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
それは感謝と、申し訳なさと、そして親友の苦しみを理解する共感の涙だった。
「辛かっただろう、昴。これからは、一人で抱え込むな。俺もいる。これからは、二人で支え合っていこう。昔みたいに…な」
「…蓮斗」
昴もまた、目頭を熱くし、蓮斗の手を強く、強く握り返した。
数十年ぶりに、二人の友情は運命の糸に導かれ、空白の時間などなかったかのように、より固い絆で再び結ばれたのだった。
その頃、碧葉は忍への想いを抑えきれずにいた。
彼女に会いたい。
ただ、その声が聞きたい。その一心で、彼は再び病院を訪れていた。
医局の前で待っていると、手術を終えたらしい忍が出てきた。疲労の色は濃いが、その立ち姿は凛として美しい。
「海原先生」
声をかけると、忍の右目がわずかに見開かれ、すぐに困惑の色が浮かんだ。
「芹沢副社長…。また何か?」
「いえ、ただ…顔が見たかっただけです」
思わず口から出た素直な言葉に、碧葉自身も驚いた。
忍は一瞬虚を突かれたように黙り込み、そして静かに言った。
「やめてください。そういうのは、困ります」
「どうしてですか。僕は、あなたのことをもっと知りたい」
「知る必要などありません。私とあなたは、仕事だけの関係です。それ以上でも、それ以下でもない」
冷たく突き放す言葉とは裏腹に、その声は微かに震えていた。
忍の瞳の奥に、怯えのような感情が揺らめいているのを、碧葉は見逃さなかった。
(この人は、何をそんなに恐れているんだ…?)
彼女の拒絶は、碧葉の心をさらに掻き立てるだけだった。