触れた手から始まる恋
アフターストーリー第2章:「小さな誓い、大きな未来」
それは、ふたりが新しい家で暮らし始めて一か月が経ったころだった。
季節は本格的な夏に差しかかり、朝の空気にも微かな熱気が混じるようになっていた。
堀田愛奈は、キッチンで麦茶を作りながら、ふとカレンダーに目をやった。
そこには、赤いペンで丸がつけられた日付があった。
──七月七日、七夕。
ふたりで暮らし始めたら、最初のイベントは何でも小さくてもいいからお祝いしよう。
そんな約束を、引っ越したときに交わしていた。
「……どうしようかな、サプライズ」
愛奈は口元に指を当てて考え込んだ。
亮祐はきっと、忙しい仕事の合間を縫って何か用意してくれるに違いない。
だから、自分も何か──特別なことをしたいと思った。
スマホで検索しながら、愛奈は小さなプランを立て始めた。
──願い事を書いた短冊を、ふたりで吊るそう。
──それから、手作りの夕食を作って、ベランダで食べよう。
──デザートには、星型のクッキーを添えて。
それは、本当にささやかな計画だった。
でも、ふたりにとっては、何よりも大切な一日になる気がしていた。
**
七月七日。
その日は朝から、どこか浮き足立っていた。
オフィスで仕事をしていても、ついスマホの時計をちらちら見てしまう。
(早く帰りたいな……)
そんなことばかり考えていた。
夕方、定時ぴったりに仕事を終えると、愛奈は近くの花屋に駆け込んだ。
そこで、七夕用に小さな笹の枝を買った。
「カップルさん用ですか?」
店員に聞かれて、顔が少し熱くなる。
「……はい」
微笑むと、店員は嬉しそうにラッピングしてくれた。
家に帰ると、急いでキッチンに立った。
手際よくパスタを茹で、サラダを盛り付け、手作りクッキーをオーブンに入れる。
エプロンを直しながら、ちらりと時計を見た。
(あと十五分で、亮祐さんが帰ってくる)
自然と胸が高鳴った。
──こんなふうに、誰かの帰りを待つのって、なんだか特別だ。
玄関のチャイムが鳴くと、愛奈は小走りで駆け寄った。
「おかえりなさい!」
ドアを開けると、そこには、ちょっとだけ疲れた顔をした亮祐がいた。
でも、愛奈の顔を見るなり、ぱぁっと表情が明るくなる。
「……ただいま」
手には、小さな紙袋。
「何それ?」
「ちょっとした、サプライズ」
にやりと笑うその顔に、愛奈も自然と頬が緩んだ。
リビングに入ると、テーブルには小さな笹の枝が飾られ、色とりどりの短冊が並んでいた。
「……これ、全部愛奈さんが?」
「うん。亮祐さんの分もあるよ。願い事、書いて」
ペンと短冊を差し出すと、亮祐は素直に受け取り、真剣な顔で考え込み始めた。
その横顔を、愛奈は胸いっぱいの想いで見つめた。
やがて、ふたりの短冊は笹に吊るされた。
──「いつまでも、君の手を離さない」 ──「どんな未来も、一緒に笑っていられますように」
飾られた短冊が、エアコンの風にそよそよと揺れた。
笹の枝に吊るされたふたりの願い事は、リビングの優しい明かりの下で静かに揺れていた。
ソファに並んで座った愛奈と亮祐は、目を細めながらそれを見上げていた。
「……なんだか、こうしてるとさ」
ふいに亮祐が言った。
「ん?」
「……本当に家族になったんだな、って思う」
その言葉に、愛奈の胸はきゅっと締め付けられた。
今までも何度も、そう感じる瞬間はあった。
引っ越しの日、初めてふたりでカレーを作った夜、夜中に目が覚めたとき、隣で眠る彼の体温を感じた朝。
でも、こうして願い事を並べてみると──ふたりの願いは、もう「自分ひとりの幸せ」ではなく、「ふたりで一緒に歩んでいく未来」を思い描いているのだと、改めて思った。
愛奈は、そっと亮祐の手を取った。
「ねぇ」
「うん」
「……私、あなたと一緒に、もっともっと未来を作っていきたい」
「俺も」
亮祐は、即座に答えた。
「愛奈さんとなら、どんな未来でも、きっと楽しくできる」
その言葉が、胸の奥まで温かく満たしていく。
ふたりはそのまま、ベランダへ出た。
小さなベランダには、引っ越してきたときに買ったばかりのテーブルと椅子が置かれていた。
手作りの夕食──星型にくり抜いたサラダや、小さなパスタ、そして焼きたての星型クッキーが並べられたプレートが、テーブルの上に運ばれる。
「わぁ……」
亮祐は目を輝かせた。
「すごい。これ、全部愛奈さんが?」
「うん。七夕だから、特別」
「……嬉しい」
亮祐がにっこりと笑う。
そんな彼を見ているだけで、愛奈も胸がいっぱいになった。
ふたりで乾杯して、食事を楽しんだ。
夕暮れから夜に変わる空の下で、静かに流れる時間。
遠くで聞こえる花火の音に、ふたりで顔を見合わせて笑った。
デザートにクッキーを一口食べたとき、亮祐がふとポケットから何かを取り出した。
小さな、細長い箱。
「……これ、渡しそびれてた」
「え?」
戸惑う愛奈の前に差し出された箱を開くと、そこには、シンプルな銀のブレスレットが収められていた。
「愛奈さんの手首に、何か俺だけの目印をつけたかったんだ」
「……すごく、素敵」
涙が滲みそうになるのを必死に堪えながら、愛奈は腕を差し出した。
亮祐は、優しい手つきでブレスレットを留めた。
カチリという小さな音が、夜空に吸い込まれていった。
「これからも、ずっと隣にいるって、約束」
「うん……ありがとう」
ふたりの間に、言葉にならない約束が交わされた。
手首に感じるブレスレットの重みは、決して負担ではなかった。
むしろ、心地いいくらいに自然で、温かかった。
愛奈は亮祐に寄り添い、夜空を見上げた。
流れるような星の川。
七夕の夜にだけ、ふたりを包み込んでくれる、特別な夜空。
──この未来を、何度だって選びたい。
ふと、亮祐が耳元で囁いた。
「……愛奈さん、来年の七夕も、再来年も、その先も、ずっと一緒に願い事しよう」
「……うん、ずっと一緒に」
それは、小さな誓い。
でも、ふたりにとっては、どんな大きな約束よりも尊く、大切なものだった。
ふたりは手を重ね、静かに夜に溶け込んでいった。
星たちが、静かに祝福するかのように、またたいていた。
【アフターストーリー第2章:「小さな誓い、大きな未来」】(終)
季節は本格的な夏に差しかかり、朝の空気にも微かな熱気が混じるようになっていた。
堀田愛奈は、キッチンで麦茶を作りながら、ふとカレンダーに目をやった。
そこには、赤いペンで丸がつけられた日付があった。
──七月七日、七夕。
ふたりで暮らし始めたら、最初のイベントは何でも小さくてもいいからお祝いしよう。
そんな約束を、引っ越したときに交わしていた。
「……どうしようかな、サプライズ」
愛奈は口元に指を当てて考え込んだ。
亮祐はきっと、忙しい仕事の合間を縫って何か用意してくれるに違いない。
だから、自分も何か──特別なことをしたいと思った。
スマホで検索しながら、愛奈は小さなプランを立て始めた。
──願い事を書いた短冊を、ふたりで吊るそう。
──それから、手作りの夕食を作って、ベランダで食べよう。
──デザートには、星型のクッキーを添えて。
それは、本当にささやかな計画だった。
でも、ふたりにとっては、何よりも大切な一日になる気がしていた。
**
七月七日。
その日は朝から、どこか浮き足立っていた。
オフィスで仕事をしていても、ついスマホの時計をちらちら見てしまう。
(早く帰りたいな……)
そんなことばかり考えていた。
夕方、定時ぴったりに仕事を終えると、愛奈は近くの花屋に駆け込んだ。
そこで、七夕用に小さな笹の枝を買った。
「カップルさん用ですか?」
店員に聞かれて、顔が少し熱くなる。
「……はい」
微笑むと、店員は嬉しそうにラッピングしてくれた。
家に帰ると、急いでキッチンに立った。
手際よくパスタを茹で、サラダを盛り付け、手作りクッキーをオーブンに入れる。
エプロンを直しながら、ちらりと時計を見た。
(あと十五分で、亮祐さんが帰ってくる)
自然と胸が高鳴った。
──こんなふうに、誰かの帰りを待つのって、なんだか特別だ。
玄関のチャイムが鳴くと、愛奈は小走りで駆け寄った。
「おかえりなさい!」
ドアを開けると、そこには、ちょっとだけ疲れた顔をした亮祐がいた。
でも、愛奈の顔を見るなり、ぱぁっと表情が明るくなる。
「……ただいま」
手には、小さな紙袋。
「何それ?」
「ちょっとした、サプライズ」
にやりと笑うその顔に、愛奈も自然と頬が緩んだ。
リビングに入ると、テーブルには小さな笹の枝が飾られ、色とりどりの短冊が並んでいた。
「……これ、全部愛奈さんが?」
「うん。亮祐さんの分もあるよ。願い事、書いて」
ペンと短冊を差し出すと、亮祐は素直に受け取り、真剣な顔で考え込み始めた。
その横顔を、愛奈は胸いっぱいの想いで見つめた。
やがて、ふたりの短冊は笹に吊るされた。
──「いつまでも、君の手を離さない」 ──「どんな未来も、一緒に笑っていられますように」
飾られた短冊が、エアコンの風にそよそよと揺れた。
笹の枝に吊るされたふたりの願い事は、リビングの優しい明かりの下で静かに揺れていた。
ソファに並んで座った愛奈と亮祐は、目を細めながらそれを見上げていた。
「……なんだか、こうしてるとさ」
ふいに亮祐が言った。
「ん?」
「……本当に家族になったんだな、って思う」
その言葉に、愛奈の胸はきゅっと締め付けられた。
今までも何度も、そう感じる瞬間はあった。
引っ越しの日、初めてふたりでカレーを作った夜、夜中に目が覚めたとき、隣で眠る彼の体温を感じた朝。
でも、こうして願い事を並べてみると──ふたりの願いは、もう「自分ひとりの幸せ」ではなく、「ふたりで一緒に歩んでいく未来」を思い描いているのだと、改めて思った。
愛奈は、そっと亮祐の手を取った。
「ねぇ」
「うん」
「……私、あなたと一緒に、もっともっと未来を作っていきたい」
「俺も」
亮祐は、即座に答えた。
「愛奈さんとなら、どんな未来でも、きっと楽しくできる」
その言葉が、胸の奥まで温かく満たしていく。
ふたりはそのまま、ベランダへ出た。
小さなベランダには、引っ越してきたときに買ったばかりのテーブルと椅子が置かれていた。
手作りの夕食──星型にくり抜いたサラダや、小さなパスタ、そして焼きたての星型クッキーが並べられたプレートが、テーブルの上に運ばれる。
「わぁ……」
亮祐は目を輝かせた。
「すごい。これ、全部愛奈さんが?」
「うん。七夕だから、特別」
「……嬉しい」
亮祐がにっこりと笑う。
そんな彼を見ているだけで、愛奈も胸がいっぱいになった。
ふたりで乾杯して、食事を楽しんだ。
夕暮れから夜に変わる空の下で、静かに流れる時間。
遠くで聞こえる花火の音に、ふたりで顔を見合わせて笑った。
デザートにクッキーを一口食べたとき、亮祐がふとポケットから何かを取り出した。
小さな、細長い箱。
「……これ、渡しそびれてた」
「え?」
戸惑う愛奈の前に差し出された箱を開くと、そこには、シンプルな銀のブレスレットが収められていた。
「愛奈さんの手首に、何か俺だけの目印をつけたかったんだ」
「……すごく、素敵」
涙が滲みそうになるのを必死に堪えながら、愛奈は腕を差し出した。
亮祐は、優しい手つきでブレスレットを留めた。
カチリという小さな音が、夜空に吸い込まれていった。
「これからも、ずっと隣にいるって、約束」
「うん……ありがとう」
ふたりの間に、言葉にならない約束が交わされた。
手首に感じるブレスレットの重みは、決して負担ではなかった。
むしろ、心地いいくらいに自然で、温かかった。
愛奈は亮祐に寄り添い、夜空を見上げた。
流れるような星の川。
七夕の夜にだけ、ふたりを包み込んでくれる、特別な夜空。
──この未来を、何度だって選びたい。
ふと、亮祐が耳元で囁いた。
「……愛奈さん、来年の七夕も、再来年も、その先も、ずっと一緒に願い事しよう」
「……うん、ずっと一緒に」
それは、小さな誓い。
でも、ふたりにとっては、どんな大きな約束よりも尊く、大切なものだった。
ふたりは手を重ね、静かに夜に溶け込んでいった。
星たちが、静かに祝福するかのように、またたいていた。
【アフターストーリー第2章:「小さな誓い、大きな未来」】(終)