海に凪ぐ、君の名前
虚の海

彼女のうそ

「だから、」

想良は、1拍置いて、口を開いた。

「君が優しくしたいのは“想良”でしょ」

何を言いたいのか、全く理解できない。

「そうだ、想良だよ」

想良は、笑った。自嘲を含んだ笑い方で。

「なに笑ってんだよ」

俺はただ、彼女を見つめることしかできなかった。

「私は、君に優しくされるような素敵な人間じゃないよ。君にはもっといい人が合うよ」

時間が止まったように感じた。

ぐちゃぐちゃとして気持ちが、腹の奥で渦をまく。

それを、留めておけるわけがなかった。

「…もっといい人ってなんだよ」

空気が静かに揺れる。想良の目も小さく揺れる。

「俺は、想良だから優しくしたいんだよ。それじゃあ、だめなのか?」

小さな肩を掴んで揺らす。

想良は、唇を噛む。真っ直ぐと俺を見ていた目を、海に投げて、そして俯く。

「凪希くんは、私が好きなの?」

「え、あ、」

答えに迷う。

好きだ。彼女が好きだ。それは間違いない。

でも、今それを言ってしまったら、彼女は遠く離れるように思う。

いや、それでも。彼女か遠くに行こうとするなら、俺はその手を掴んで離したくない。

なにより、俺は自分の気持ちに、嘘をつきたくない。

これは、押しつけだろうか。ただの自己満足だろうか?

ごめん、想良。

俺の自己満足に、少し付き合ってくれ。



「好きだ。想良」



俯いていて、表情が見えない。

「…だよね」

声が震えている。手も、髪も、瞳も。

「好きになるに決まってるよ。…だって、そうなるようにしてたんだもん」

彼女は顔を上げた。

真っ直ぐと俺を見ているはずなのに、その奥を見ているような。

彼女は想良に違いないのに、知らない人を見ているようだった。

「え、それってどういう、」

「演技なんだよ。私は、どんな顔して笑ってるかどんな声で泣くか、全部わかってる。それ全部“仕事”で身につけたの。優しくされたい時の顔も、放っておいてほしい時の沈黙も演技」

「え、じゃあ、」

想良のあの笑顔も、あの言葉も、俺の好きなところ全部、“想良”の虚像ということか?

じゃあ、俺の彼女を好きだと思う気持ちも、虚なのか?

「それでも、それを“私”だと思って見つめるでしょ?」

喉の奥が詰まった。

俺の気持ちが間違いない事だと、はっきりと彼女に伝えたかった。

でも、説明できる言葉が見つからない。

「…違う」

ようやく絞り出した声は、情けないほど弱々しく、掠れていた。

「違わないよ」

即答だった。被せるような、逃がさないような声。

「だってさ、」

彼女は、笑う。さっきと同じ、いつもカメラに向かって笑っているんだろう笑顔で。

「私、そういう顔しか見せてないもん」

胸の奥が、鈍く痛んだ。

「本当の私は、もっと悲観的だし、楽しい時にそれが無くなってしまった時のことを考えてしまうし、嘘で固めて笑顔で守ってるの」

彼女の指先が、わずかに震えている。

「それ、君が好きになった“想良”じゃないでしょ」

恐ろしい程に清々しく強い目。思わず怖気付く。

彼女が生唾を飲み込む。

なにか覚悟を決めたようだった。

「本当がなにか、分かんなくなっちゃったよ」

彼女はまたふっと笑った。

でも先程のような、柔らかいの硬くて温かいのに冷たいような笑顔じゃなかった。

見たことがない、切なく儚い笑顔。

何も言えなかった。

否定する言葉も、肯定する資格も、見つからなかった。

その沈黙を、彼女はちゃんと見ていた。

「ほらね」

小さく息を吐く。

「今の顔も、あなたの知ってる“想良”じゃないでしょう?」
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