海に凪ぐ、君の名前
深の海

父の仕事

「凪希、次の予定は」

「CM撮影現場に13:00までに向かいます。ここからですと、あと30分後に着きます」

「そうか」

黒塗りにされた海外製の車に乗って、秘書と俺と父さんの3人で行動を共にする日々。

こんな生活が始まってもう1週間だ。

無言の車内に、車の走行音だけが響く。

窓の外には、地元では見ることの無いだろう背の高いビルが所狭しと立っている。

息苦しい。

制服じゃないネクタイを締めるのも、おろしたてのジャケットを羽織るのも、息苦しい。

(ああー、戻りたい)

こんな生活になってから、一日に何度も思うようになった。あの堤防で何も考えずに、ただ、海を見ていたあの生活に戻りたい。

想良と最後に会った日から、そんなに時間は経っていない。たった数週間だけなのに。

想良の笑顔を横目に悪態をつくことすらも、懐かしい。

ポケットからスマートフォンを出して、電源を付ける。到着するまで、ネットサーフィンでもしようと思った。

この小さな液晶端末の中で、彼女はかなりホットな話題だということを知ってから、SNSのアプリをダウンロードした。

そのアイコンをタップして、検索ジェットに『浜田 想良』と入力する。すると、まだ新しい記事が山ほど出てきて、こめかみ辺りがキリキリとする。

『あの役は最初から彼女に決まっていた? 関係者が語る“特別扱い”の真相』

『清純派崩壊?江ノ島デート写真入手』

見出しは目を引くものばかりだ。

もともとSNS上に上がっていた想良の顔写真に落書きをするような投稿もある。

スクロールする手が止まらない。

『実力あると思ってたのに残念』

『あの年齢で急に主演っておかしいと思ったんだよね。これで納得〜』

『仕事放り出して恋愛優先とかプロ意識なさすぎ』

『清純派キャラどこいったの笑』

息が苦しくなって、スマホをポケットに突っ込んだ。

________これは、どんなつもりで書いているんだろうか。

これを書いたことで彼女が辛い思いをするなんて考えないのだろうか?

そもそもなんで、人の事を“叩く”なんて行為が世の中にまかり通っているのだろう?

身元を開示することなく、特定の人物を執拗に“叩く”ことが本当に正義なのか?

監督との逢い引きしたって言ったって、週刊誌に上がってる記事だけじゃ分からない。彼女はただ“有名”ってだけなのに、俺と江ノ島に行っただけでどうしてこんなに酷いことを言われるんだ?

彼女は、これを見てどう思うんだろう。

「凪希」

「っあ」

車窓の外をぼーっと眺めていたら、父さんに名前を呼ばれた。

それでもうCM撮影を行うスタジオがある建物に到着したことに気づいた。

「何ぼーっとしているんだ。現場に行ったら、しっかり挨拶しろよ」

「はい。わかってます」

新品の靴は異常な程に音が鳴る。新品のスーツは固くて動きずらい。

不自由さが身を引き締めるような気になる。
< 31 / 44 >

この作品をシェア

pagetop