海に凪ぐ、君の名前
光の海
彼の嵐
「凪希さん。おかえりなさい」
家の門をくぐり抜けると、聞き慣れた声がした。声の方へ顔を向けると、そこにはやはり見慣れた顔がある。
「ああ、ナツさん」
そう声をかけて、ぺこりと頭を下げる。
ナツさんはうちにお仕事に来てくれているおばあさんだ。端的に言えば、家政婦だ。沖野家には俺の産まれる何年も前から仕えているんだとか。
「凪希さん」
ナツさんの前を通り過ぎようとした時、呼び止められた。
「はい?」
にこりと微笑んで振り向くと、ナツさんは柔らかく笑って口を開いた。
「本日は、嵐さんがおかえりですよ」
どくんと脈打つのがわかった。背中がじんわりと汗ばむ。
嵐が、なんで?
「そ、そうですか。ありがとうございます」
また笑顔を貼り付けてナツさんに会釈した。
どくんどくん、と脈が早い。冷や汗が出る。
帰ってきてるのか、嵐が。
そうか、大学は高校よりも少し夏休みが早いんだよな。そういうことだよな?
嵐は今、大学3年だから就職先の話とかではないよな?
まさか、父さんから何か言われて呼び寄せられたとかじゃないよな?
玄関の重たい扉を引くと、勢いよく何かが抱きついてきた。
抱きついてきた何かは、顔を上げてこちらを見た。
「凪希!おかえり!」
その顔を見て、どくんと脈打つ。背中に汗がじんわりと滲む。
「なんだ、嵐か」
声が震えそうになるのを、必死に抑える。
嵐は俺の身体をぎゅうぎゅうと抱きしめた。
「もう抱きつくのはいいって。…なんだよ急に帰ってきて」
しっかりとホールドされた両腕をはがす。
震えている手がバレないように、すぐに嵐の腕から手を離した。
「夏休みだよ。ほら、大学って夏休みが少し早めなんだよ」
あ、そうか、夏休みか。
夏休みで良かった。就職の話じゃないなら、良かった。
「へー、まあいいけど」
(やば、)
“凪希”らしくない冷たい言い方をしてしまった。
大学の話なんてするからだ。動揺を上手く隠せない。
「そう?それはそうね」
それに便乗するように俺も曖昧に頷く。
動揺が顔に出そうになって、彼女の横を通り抜けた。
「あっ凪希!」
すると、後ろから急に呼び止められる。
階段を上りかけた足がぐっと止まる。
「今日は、家族揃っての食事だからね。まあ、お母さんは来ないけど。とにかく、ちゃんと出なさいよ。あなたってば、いつも全員集合の時は来ないんだもの」
嵐の言葉にどきりとする。
バレてたんだ、逃げてたこと。
いつからかは覚えてないけど、家族団欒の食事を幸せなものとは捉えられずに憂鬱な時間でしか無くなったんだ。
口角を無理やり引き上げてから、嵐の方へ振り向いた。
「ごめん。今日は、やらなくちゃいけない課題があって」
「あなた、今日も来ないつもりなの?もう、お義父さんの威圧感が苦手なのは分かるけどさあ…」
呆れたような言い方に、喉がひりつく。
「ごめん、時間ないから」
そう言って、階段をかけあがった。
部屋に駆け込んで、戸を閉じる。
やっと息ができた気さえする。足の力が急に抜けて、戸にもたれるようにして座り込む。
嵐の話を途中で遮ったのははじめてだ。
呼吸が浅い。目の奥が痛い。
思わず、眉間に手を当てる。
そして、また息がこぼれる。
だだっ広く薄暗い部屋の中で、ただ、浅い呼吸音だけが響く。
「あー…クッソ」
何に対して思ったのか分からない。
でも、クソだ。
こんな人生クソだ。もう、うんざりだ。
なんでこんなに、俺はダメなんだろう。
なんでこんなにも、心が空洞なんだろう。
馬鹿みたいに広い部屋とか、綺麗に磨かれた床とか、キラキラの電気とか。
なんでそれに見合う男になれないんだろう。
同じことをして、ただ淡々と生きるだけの自分がよく分からない。
家の門をくぐり抜けると、聞き慣れた声がした。声の方へ顔を向けると、そこにはやはり見慣れた顔がある。
「ああ、ナツさん」
そう声をかけて、ぺこりと頭を下げる。
ナツさんはうちにお仕事に来てくれているおばあさんだ。端的に言えば、家政婦だ。沖野家には俺の産まれる何年も前から仕えているんだとか。
「凪希さん」
ナツさんの前を通り過ぎようとした時、呼び止められた。
「はい?」
にこりと微笑んで振り向くと、ナツさんは柔らかく笑って口を開いた。
「本日は、嵐さんがおかえりですよ」
どくんと脈打つのがわかった。背中がじんわりと汗ばむ。
嵐が、なんで?
「そ、そうですか。ありがとうございます」
また笑顔を貼り付けてナツさんに会釈した。
どくんどくん、と脈が早い。冷や汗が出る。
帰ってきてるのか、嵐が。
そうか、大学は高校よりも少し夏休みが早いんだよな。そういうことだよな?
嵐は今、大学3年だから就職先の話とかではないよな?
まさか、父さんから何か言われて呼び寄せられたとかじゃないよな?
玄関の重たい扉を引くと、勢いよく何かが抱きついてきた。
抱きついてきた何かは、顔を上げてこちらを見た。
「凪希!おかえり!」
その顔を見て、どくんと脈打つ。背中に汗がじんわりと滲む。
「なんだ、嵐か」
声が震えそうになるのを、必死に抑える。
嵐は俺の身体をぎゅうぎゅうと抱きしめた。
「もう抱きつくのはいいって。…なんだよ急に帰ってきて」
しっかりとホールドされた両腕をはがす。
震えている手がバレないように、すぐに嵐の腕から手を離した。
「夏休みだよ。ほら、大学って夏休みが少し早めなんだよ」
あ、そうか、夏休みか。
夏休みで良かった。就職の話じゃないなら、良かった。
「へー、まあいいけど」
(やば、)
“凪希”らしくない冷たい言い方をしてしまった。
大学の話なんてするからだ。動揺を上手く隠せない。
「そう?それはそうね」
それに便乗するように俺も曖昧に頷く。
動揺が顔に出そうになって、彼女の横を通り抜けた。
「あっ凪希!」
すると、後ろから急に呼び止められる。
階段を上りかけた足がぐっと止まる。
「今日は、家族揃っての食事だからね。まあ、お母さんは来ないけど。とにかく、ちゃんと出なさいよ。あなたってば、いつも全員集合の時は来ないんだもの」
嵐の言葉にどきりとする。
バレてたんだ、逃げてたこと。
いつからかは覚えてないけど、家族団欒の食事を幸せなものとは捉えられずに憂鬱な時間でしか無くなったんだ。
口角を無理やり引き上げてから、嵐の方へ振り向いた。
「ごめん。今日は、やらなくちゃいけない課題があって」
「あなた、今日も来ないつもりなの?もう、お義父さんの威圧感が苦手なのは分かるけどさあ…」
呆れたような言い方に、喉がひりつく。
「ごめん、時間ないから」
そう言って、階段をかけあがった。
部屋に駆け込んで、戸を閉じる。
やっと息ができた気さえする。足の力が急に抜けて、戸にもたれるようにして座り込む。
嵐の話を途中で遮ったのははじめてだ。
呼吸が浅い。目の奥が痛い。
思わず、眉間に手を当てる。
そして、また息がこぼれる。
だだっ広く薄暗い部屋の中で、ただ、浅い呼吸音だけが響く。
「あー…クッソ」
何に対して思ったのか分からない。
でも、クソだ。
こんな人生クソだ。もう、うんざりだ。
なんでこんなに、俺はダメなんだろう。
なんでこんなにも、心が空洞なんだろう。
馬鹿みたいに広い部屋とか、綺麗に磨かれた床とか、キラキラの電気とか。
なんでそれに見合う男になれないんだろう。
同じことをして、ただ淡々と生きるだけの自分がよく分からない。