両親と妹はできそこないの私を捨てました【菱水シリーズ①】
店から逃げるようにして飛び出した。
二度と来るつもりはない。
それなのに頭の中では音が鳴り始めていた。
雨の音が音符に戻った日。
私は本当に魔法をかけられてしまったのかもしれない。
キスされた手の甲を眺め、あの綺麗な顔を思い出していた。
彼が弾いたサティの曲がずっと頭の中で流れている。
この優しい霧のような雨と同じくらいの優しい音が。
音に捕まらないように逃げた。
足元の跳ねる水も気にならないくらい急ぎ足で。
振り返ったら、彼に囚われ、二度と普通の生活に戻れないような気がして怖い。
それなのにまたあの音が聴きたいと思う自分がいた。
あの優しく穏やかな音がずっと鳴りやまない。
私の空っぽの心を息苦しくなるくらいに埋めたのだった。
渋木唯冬の音は―――
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