「逃げていいんだよ」と彼は言ってくれた。
 シナリオ講座に通い始めてから、金曜日は図書館に行く日になった。課題を仕上げる為の参考文献が必要だからだ。
 司書さんとも顔馴染みになり、会えば挨拶を交わすようになった。そんな変化が少し嬉しい。実家に戻って来た頃は自分のことを完全な負け犬だと思っていたけど、今はそこまでの劣等感を感じなくなった。

 シナリオを書くのが楽しいのと、先生に恋をしているからだ。
 るんるんとした気持ちで、目当ての書棚に行く。課題の『はじまり』の物語はどんな話にしようか。はじまりってことはやっぱり誰かと誰かが出会うことだよね。そんなことを考えていたら、【海】という文字が目に入る。パッと先生と出会った海浜公園が浮かんだ。そして、体中に電流が流れるような衝撃を感じる。そうか。先生との出会いを書けばいいんだ。

 私は海の本を持って、窓際のカウンター席に座り、原稿用紙とペンケースを取り出した。そして、思いつくまま私の世界を書いていく。

 書いては消しての繰り返しで中々、形にならないけど、物語を創るのが楽しい。
 館内に蛍の光とともに、もうすぐ閉館になるというアナウンスが流れてハッとした。もう五時になるんだ。
 シャーペンをペンケースに仕舞おうと思ったら、床に転がる。やだ。今日も同じことを。

「どうぞ」

 男性の声がした。

「ありがとうございます」

 男性の顔を見て、ドクンと鼓動が強く脈打った。

「せ、先生」

 私のシャーペンを拾ってくれたのはTシャツ姿の先生だった。
 眼鏡はかけていないオフの時の先生だ。
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