「逃げていいんだよ」と彼は言ってくれた。
 駅前のコインパーキングに車を停めて、先生と『一瀬』まで歩く。
 歩いている途中、何度か先生の手と触れそうになってドキッとした。さすがに海浜公園の時のように手をつないでくれないかと思った時、先生が私の手を握った。突然のことに鼓動が速くなる。

「危ないから」

 そう言って先生が手をつないだまま横断歩道を渡る。

「私、子どもじゃないですよ」

 ドキドキしているのを悟られないように抗議すると、さらに先生はドキッとさせることを口にする。

「今言ったのは建前だよ」

 横断歩道を渡り切ると先生が言った。

 つまり横断歩道は私と手をつなぐ為の口実だったってこと? 先生は私と手をつなぎたかったの? そう思ったら、手のひらが熱くなる。男らしい先生の大きな手を感じて、さらにドキドキしてくる。

「着いたね」
『一瀬』の前で先生が立ち止まる。

 照れくさくて先生の顔が見られず、自分のスニーカーばかり見ていた。

「いらっしゃいませ」

 中に入ると、威勢のいい男性店員の声が響く。
 いつも客でいっぱいの店内はすいていた。

「二名で」

 私たちを出迎えた男性店員に先生が口にする。カウンターかテーブルかと聞かれて、先生が私を見た。

「どっちがいい?」
「じゃあ、あの……カウンターで」

 テーブルだったらきっと向かい合わせになるから先生の顔を直視することになる。それよりも、カウンターで横並びの方がましに思えた。今は動揺し過ぎて先生の顔を見られない。

 この間までは壁を作られたと思っていたけど、私の勘違いだったのかもしれない。それどころか先生との距離が近くなった気がする。

 先生、片想いの人がいるんじゃなかったの? なんで私と手をつなぎたいと思ったの?
 聞きたいことは沢山あったけど、聞く勇気がない。
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