「逃げていいんだよ」と彼は言ってくれた。
「元気そうだな」

 そう言って高坂さんは向かいの席に座る。

「あの、私、待ち合わせをしているんです」
「知ってるよ。見合い相手を待っているんだろ?」

 高坂さんがニヤッと笑みを浮かべた。

「俺が見合い相手だ」

 もらった写真と履歴書は高坂さんとは違う人のものだった。

「ふざけるのはやめて下さい」

 ハハッと高坂さんがバカにするように笑う。
 私を見下したような態度は相変わらずだ。

「今日、藍沢と約束していた男は俺の後輩なんだよ。でも、そいつ彼女がいて、仕事の付き合いで仕方なく見合いをすることになったって言ってたから、俺が代わりになってやったんだ。すっぽかされないで済んだんだから、ありがたく思えよ」

 横柄な態度で足を組むと、高坂さんは通りかかったウエイターにコーヒーを頼んだ。
 素敵な出会いどころか、最悪な出会いだ。もう一秒だってこの場にいたくない。

「そうですか。わざわざ断りに来たんですね。わかりました。失礼します」
「断りに来たんじゃない。藍沢と見合いをしに来たんだ」

 彫りの深い顔を向けながら高坂さんが言った。

「ハイスペックな俺が見合いしてやるんだから、ありがたく思え」

 全然ありがたくない。でも、気の弱い私はそんなこと言えず、俯いた。

「藍沢も俺も、互いのことはもうわかっているから、あとは体の相性でも試すか」

 信じられない言葉に顔を上げた。

「結婚前に知っておいた方がいいだろ? 俺は加瀬とは違うから安心しろ。二股なんて絶対にしないから」

 無理だ。高坂さんといたら私は全く安らげない。

「あの」
「俺が加瀬を忘れさせてやるよ」

 断わろうとしたら、いきなり高坂さんにテーブルの上の手を掴まれた。温い体温と、汗ばんだ手が気持ち悪くて悪寒が走る。

「は、放して下さい」
「大丈夫だって。俺は優しいから」

 我慢できなかった。

「放して! あんたなんか世界一大嫌い!」

 高坂さんの目が丸くなる。
 私は高坂さんの手を振り払って、カフェから逃げ出した。もう最悪だ。
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