「逃げていいんだよ」と彼は言ってくれた。
 車を運転する先生の横顔を見て、半年前、月明りの下で見た先生の横顔を思い出す。その時の私は先生のことを綺麗な男の人だと思った。その印象は変わっていない。

 綺麗な横顔をずっと見ていたくて、助手席からこっそり先生に視線を向けていると、「何?」と聞かれて、心臓が飛び跳ねた。
 悪戯が見つかったようなバツの悪さを感じる。

「なんでもないです」

 誤魔化すように窓の外を見た。さっきよりも夜の色が濃くなり、いつの間にか見覚えのある景色に変っていた。もう私と先生が住む市内だ。

「もうすぐ着くよ」

 前を見ながら先生が言った。

 先生は私が住んでいる所とは線路を挟んだ反対側に車を走らせた。駅の出口で言ったら、南口の地域だ。新築の家が多く建つ住宅街まで来ると、先生は車を右折させ、路地に入る。そして新しそうな二階建ての家の前で車が停まり、二台分ある駐車スペースに車を入れた。

「一戸建てですか?」

 勝手に先生はマンションに住んでいると思っていた。
 運転席の先生が私を見て頷く。

「うん。賃貸だけど。知り合いが貸してくれたんだ」

 エンジンを切り、先生が車から降りる。
 私も降りて、白とグレーの二階建ての家を門の前から眺める。
 広告に載っているモデルハウスのようなモダンな雰囲気の家だ。

「素敵なお家ですね」
「この家の主はこだわって建てたらしいよ。でも、住んで一年で福岡に転勤。それで俺が借りることになった」
「持ち主さん、何だか可哀そうですね」
「俺はラッキーだったけどね。さあ、どうぞ」

 先生が門を開ける。私は先生の後にくっついて、玄関に向かう。雑草一つ生えていない庭には青々とした芝生が敷かれていて、庭の管理も丁寧にしていそうだ。先生がやっているんだろうか?

「さあ、どうぞ」

 先生がグレーの玄関ドアを開ける。

「お邪魔します」

 中に入ると、柑橘系の爽やかな香りがする。シューズクローゼットの上に置かれた芳香剤の香りだった。私も同じ芳香剤を買ったことがある。先生と好みが一致して、ちょっと嬉しい。

「リビングは二階なんだ」と言って、先生が玄関ホール正面の階段を上っていく。私も後に続いた。
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