「逃げていいんだよ」と彼は言ってくれた。
「普通のことをしただけですよ」
「藍沢さんにとって普通でも、世間では普通じゃないと思うな。無自覚で人に親切にできる藍沢さんは素敵な人だよ」

 カアッと頬が熱くなる。

「褒めすぎです。大したことしていませんから」
「大したことなんだってば。藍沢さん、自分のいいところは認めた方がいいよ」

 私にいい所があったんだ。そのことに驚いた。

「先生は褒め上手ですね。それから面倒見が良くて、カレー作りも上手」
「急にどうしたんだい?」
「お返しをしただけですよ。照れくさいでしょ?」
「まあ、照れるね」

 鼻の頭をかく先生の仕草から本当に照れているのが伝わって来て、何だかくすぐったい気持ちになる。
 最悪なお見合いがあったとは思えないくらい、先生といると楽しい。

「実は今日、お見合いだったんです」

 カレーを食べていた先生がスプーンを置いて、目を丸くする。

「だから、綺麗な格好をしていたのか」

 私のワンピースに先生が視線を向ける。

「このワンピース、お見合いの為に買ったんです。新しい靴も買ったし、髪もカットして、カラーも少し入れました。けっこうお金使ったのに、最悪な出会いでした」

 笑ってもらおうと、冗談めかして言った。

「最悪な出会い?」
「お見合いに来たのは元上司だったんです。いつも私に高圧的で、プレッシャーばかりかけて来て。おかげで世界一苦手な人になりました」
「それはさんざんだったね。でも、お見合いに行く前に相手はわからなかったの?」

 誰だってそう思うだろう。

「もちろん、相手のお見合い写真は見ていましたよ。でも、その人は恋人がいるそうです。だから、仕方なくお見合いを引け受けたそうで。それで、彼からその話を聞いた元上司が代理で出て来たんです」

 先生が両眉を上げた。

「見合い相手と藍沢さんの世界一苦手な人が知り合いだったってこと?」
「そうです。なんか、元上司の後輩だって言ってましたけど」
「そんな偶然ってあるんだ」
「あって欲しくなかったですけどね。そう言えば、この間も元彼の新居に仕事でお邪魔したんだった。なんか、私、最悪な偶然ばかりですね」

 茶化そうと思ったけど、どれも生々しい傷で上手く茶化せない。なんか悲しくなって来た。泣きそうになったのをビールを飲んで何とかやり過ごす。
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