「逃げていいんだよ」と彼は言ってくれた。
「俺もなんか読んでみようかな」

 そう言って先生は分厚い本を手に取る。
 その場でパラパラとページを捲る姿がカッコいい。先生は何をしていても絵になる。

「うん?」

 先生が私の方に視線を向けた。
 目が合い、慌てて逸らす……って、私の行動、先生のことを思いっきり意識しているじゃん。恥ずかしい。

「なんか藍沢さん、顔が赤いけど、熱ある?」

 先生の手がいきなり私の額に触れる。
 ドキッとした。

「熱はないか」

 そう言って先生が手を離す。

「もう、いきなり触らないで下さい!」

 恥ずかしさでいっぱいになり、怒ったような言い方になった。
 先生が人差し指を立て、私の唇に触れそうな位置まで寄せる。そして「しー。ここは図書館ですよ」と小声で言った。
 そうだった。今の私の声は迷惑なる程大きかったかも。

「すみません」

 先生に合わせて私も小声になる。そんな私を見て、先生はクスッと笑う。

「ねえ、藍沢さん、昼一緒に食べない?」
「え」

 思いがけない誘いに鼓動が速くなる。

「もし予定がなければだけど」
「ありません!」

 また声が大きくなる。
 先生が人差し指を立て「しー」と言った。

「あ、すみません」
「じゃあ、一時間後に図書館の出入口で」
「はい」

 私の返事を聞くと、先生は分厚い本を持ったまま閲覧コーナーの方へ歩いていった。その背中を見ながら、この場で本を読まなかったのは、私に気を遣ってくれた気がした。
< 86 / 178 >

この作品をシェア

pagetop