雨と妖精に導かれて ──御曹司CEOからの溺愛ラビリンス

【第10章『手放せない笑顔』】

 六本木の高層ビル群に、朝の陽射しが反射していた。
  真新しいガラスの壁面には、都心の空を切り取るように青が広がっている。
  その中でひときわ存在感を放っている建物――有栖川ホールディングス本社の屋上に設けられたスカイラウンジでは、今まさに“新たな時代の幕開け”が始まろうとしていた。
 「準備は整いました。記者陣、続々と集まっております。」
 スタッフの報告に、泰雅は軽く頷いた。
  グレーのスーツに身を包み、身だしなみは一分の隙もない。
  けれど、その瞳の奥には、どこか柔らかな光が宿っていた。
 視線の先にいるのは、美里だった。
 フローラルベージュのセットアップに、パールのピアス。
  髪はゆるくまとめられ、その中に微かに揺れる“心をつなぐ鍵”のペンダントが、今日も胸元で輝いている。
 「緊張してる?」
 「……してます。私、ただの同席者なのに。」
 「俺にとっては、ただじゃない。君がいることで、今日の俺は違う。」
 その言葉に、美里はそっと息をついた。
 泰雅がこの日のためにどれだけ準備してきたか、そばで見てきたからこそ、今この場に立ち会えることに責任と誇りを感じていた。
 「では、そろそろ壇上へご案内します。」
 スタッフの案内で、ふたりはゆっくりとステージへ向かう。
 会見場には、業界メディアをはじめ、テレビクルー、ビジネス誌、さらにはSNSを代表するインフルエンサーまでが詰めかけていた。
 一歩踏み出すごとに、無数のフラッシュが彼を包む。
 ──その中心に立つのは、泰雅。
  ──けれど、その横にいる“彼女”に、目を留めた者も少なくなかった。
 誰もが“あの女性は誰だ”とざわめいた。
  CEOという巨大企業の顔と、親密に並ぶ女性――
  その存在に、カメラのレンズが自然と引き寄せられていた。
 マイクを通じて、司会が開会を告げる。
 「本日をもって、有栖川泰雅氏がホールディングスCEOに正式就任いたします。」
 壇上に立った泰雅は、静かに視線を巡らせ、そして語り始めた。
 「皆さま、本日はお集まりいただきありがとうございます。」
 その声は低く、けれどどこまでも落ち着いていた。
 「私は、今この瞬間から、“守るための経営”を始めます。」
 どよめきが広がる。
  通常、就任会見では“成長”や“変革”を掲げるのが通例。
  だが、彼は“守る”と宣言したのだ。
 「社員の未来、家族の笑顔、そして信じ合える価値。私はこの三つを守るために、ここに立ちます。」
 その言葉に、会場の空気が変わった。
 一瞬の静寂。
  次に起こったのは、拍手だった。
  一部の記者たちはメモを取りながらも、目を細める。
  それは単なるパフォーマンスではない、本心から出た言葉だと伝わったからだった。



 会見後、フォトセッションの時間が設けられた。
  報道陣の求めに応じて、泰雅は軽くうなずき、視線を横に向ける。
 「……美里、一緒に。」
 突然の声に、美里は一瞬戸惑った。
 「えっ……私も?」
 「君がいてくれたから、今日の俺がある。堂々としてて。」
 彼の瞳は真剣だった。
  その言葉に背中を押され、美里はそっと泰雅の隣に立った。
 無数のフラッシュが、ふたりを包む。
  その中で、美里は自分がどれだけ彼にとって大切な存在になっているのかを、ようやく実感する。
 ──この人の隣に立っても、恥ずかしくない自分でいたい。
  ──もっと強くなりたい。
 それは、愛されることによって芽生えた、初めての“誓い”だった。
 「これからも、この笑顔を守り続けます。」
 小さく囁かれた言葉が、美里の胸に深く染みわたった。
 会見が終わると、スカイラウンジの一角に設けられた控室にふたりは戻った。
  窓の外には東京タワーと、早くも夕映えを予感させるオレンジ色の空。
 「……すごい光でしたね、あのフラッシュ。」
 「うん。でも、君の笑顔の方がずっとまぶしかった。」
 「も、もう……それ、ほんとにズルいです。」
 言いながらも、美里の顔は真っ赤だった。
 泰雅は、そんな彼女をそっと抱き寄せた。
  その腕の中で、美里は確かに“守られている”と感じた。
  けれどそれ以上に、“並んで進む覚悟”が自分にも芽生えているのを感じていた。
 「もう、隠すつもりはない。」
 「……?」
 「君の存在を、世界にちゃんと示したい。」
 「でも、私は……まだ何者でもなくて……」
 「君は、俺の“唯一”だ。それだけで十分すぎる。」
 その言葉が、美里のすべての迷いを溶かしていく。
  そして、彼の胸元にそっと額を寄せた。
 「じゃあ……もう逃げません。ちゃんと隣に立ちます。」
 泰雅は優しく頷いた。
  その瞳の奥には、確かな未来が映っていた。
 スカイラウンジの窓越しに見える都会の風景。
  そこに、“ふたりだけの誓い”が、確かに刻まれていた。
 ──これが、“手放せない笑顔”。
  ──そして、愛を公にするという覚悟の夜だった。
 【第10章『手放せない笑顔』 終】
< 10 / 40 >

この作品をシェア

pagetop