雨と妖精に導かれて ──御曹司CEOからの溺愛ラビリンス
【第11章『心の中の秘密』】
深夜の静けさが東京を包み込む中、泰雅の邸宅のテラスには、風に揺れるグラスの音だけが響いていた。
彼と美里は、ディナーの余韻を残したまま、夜景を眺めていた。
「やっぱり……東京の夜景って、どこか強がってるように見えるんです。」
そう言って笑った美里に、泰雅は微笑を返す。
「強がってる?」
「はい。眩しくて綺麗だけど、どこか寂しそうで。でも、あなたとこうして見てると……あたたかく見える。」
その言葉に、泰雅は何かを噛みしめるようにグラスを置いた。
「美里……」
呼ばれた名に、胸が微かに波打つ。
そして、その直後だった。
「ただいま。」
低く響いた男の声が、静寂を切り裂いた。
テラスの入り口に立っていたのは、端正なスーツ姿の男――泰雅の父、会長だった。
「……父さん。」
泰雅が立ち上がり、美里も慌てて席を外そうとするが、それを制するように会長が手を上げた。
「かまわん。続けてくれたまえ。」
その言葉に、場の空気が張り詰める。
視線の奥にあるもの、それはただの帰国の挨拶ではなかった。
「CEO就任、おめでとう。報告くらい、直接くれても良かったと思うが。」
「急だったから。……でも、報告するつもりだった。」
「そうか。では今、報告を聞こう。君の未来と、この女性の関係について。」
美里は息を呑んだ。
会長の視線が、冷たくはないが鋭い。
「彼女は、私の大切な人です。」
「それは聞かずとも分かる。では、“公の場に立つにふさわしい”と君は判断したのか?」
その言い回しには、明確な試す意図が含まれていた。
「はい。何より、私の人生において“心の支え”になってくれる存在です。」
「……ふむ。」
しばしの沈黙。
会長はゆっくりとグラスの水をひと口含み、そして唐突に切り出した。
「婚約話がある。御曹司として、次代の礎を築く相手として、ふさわしい女性だ。」
「その話は受けません。」
「……即答だな。」
「心が決まっています。父さんの望む“型”には、もう僕は収まれない。」
会長は美里に目を向けた。
そのまなざしには、値踏みというより“本物かどうか”を見極める静かな圧があった。
「彼女の何を見た?」
「目を見て、“愛されている”と分かった。……それだけで十分です。」
しばらく会長は何も言わなかった。
やがて、ふっと力を抜いたように椅子に座り直す。
「いいだろう。だが、君が選んだその道には、甘えは許されん。美里さんも、どうか覚悟を。」
「はい……私は、覚悟しています。」
その声は震えていなかった。
真っ直ぐに、彼女の目は会長を見ていた。
テラスの上に、遠雷の音が響いた。
夏の嵐が、静かに近づいていた。
遠くの空を切り裂く稲光が、夜の庭を一瞬だけ白く照らした。
美里の肩をそっと包んだ泰雅の腕は、どこまでも頼もしかった。
彼の言葉の強さ、真っ直ぐさ、そしてこの手のぬくもり――すべてが、美里に「信じていい」と伝えていた。
「……ご無礼を、失礼しました。」
美里は会長に向かって頭を下げた。
自分が今、この家のどこに立っているのかを、痛いほど実感していた。
──私は、泰雅さんの“世界”に、まだ完全には溶け込めていない。
けれどその不安は、すぐに払拭される。
「もう、謝らなくていい。」
泰雅の言葉は、凛と響いた。
その口調には、もはや“息子”としての迷いはなかった。
「彼女は、僕にとって“選んだ未来”です。父さんが築いてきた過去を否定する気はありません。でも、僕は僕の道を歩きます。」
会長はグラスを置き、立ち上がった。
沈黙のまま数歩、美里の前に進み出る。
「……“心をつなぐ鍵”。懐かしいな。」
「えっ?」
美里が思わずペンダントを握る。
それは泰雅から贈られたもの、彼の亡き母の形見。
「それは……彼女に託したのか。」
「はい。」
「……なら、もう何も言うまい。」
一瞬だけ、会長の目に哀しみが過った。
そしてそれが、ふいにほどけるように穏やかになる。
「昔、あの鍵は“愛の証”として私が妻に贈ったものだったよ。……泰雅、お前はあの人に似てきたな。」
そのまま、会長は部屋を出て行った。
背中に滲んでいたのは、父としての未練か、男としての誇りか。
そのどちらとも取れる、静かな背中だった。
静寂が戻ったテラスで、美里は小さく息を吐いた。
「緊張しました……でも、不思議と怖くはなかったです。」
「君が真っ直ぐだったから、父さんも本気になった。……ありがとう。」
泰雅は、美里を優しく引き寄せた。
空からひとつ、雨粒が落ちてくる。
ふたりの額の間に、冷たい感触が降り立つ。
「……降ってきましたね。」
「でも、大丈夫。」
泰雅が上着を脱いで、美里の頭にそっと被せる。
「俺が守るって、決めたから。」
そう言って笑った彼の横顔は、光に濡れてもなお温かかった。
まるでこの雨さえ、祝福のシャワーのように思えるほどに。
【第11章『心の中の秘密』 終】
彼と美里は、ディナーの余韻を残したまま、夜景を眺めていた。
「やっぱり……東京の夜景って、どこか強がってるように見えるんです。」
そう言って笑った美里に、泰雅は微笑を返す。
「強がってる?」
「はい。眩しくて綺麗だけど、どこか寂しそうで。でも、あなたとこうして見てると……あたたかく見える。」
その言葉に、泰雅は何かを噛みしめるようにグラスを置いた。
「美里……」
呼ばれた名に、胸が微かに波打つ。
そして、その直後だった。
「ただいま。」
低く響いた男の声が、静寂を切り裂いた。
テラスの入り口に立っていたのは、端正なスーツ姿の男――泰雅の父、会長だった。
「……父さん。」
泰雅が立ち上がり、美里も慌てて席を外そうとするが、それを制するように会長が手を上げた。
「かまわん。続けてくれたまえ。」
その言葉に、場の空気が張り詰める。
視線の奥にあるもの、それはただの帰国の挨拶ではなかった。
「CEO就任、おめでとう。報告くらい、直接くれても良かったと思うが。」
「急だったから。……でも、報告するつもりだった。」
「そうか。では今、報告を聞こう。君の未来と、この女性の関係について。」
美里は息を呑んだ。
会長の視線が、冷たくはないが鋭い。
「彼女は、私の大切な人です。」
「それは聞かずとも分かる。では、“公の場に立つにふさわしい”と君は判断したのか?」
その言い回しには、明確な試す意図が含まれていた。
「はい。何より、私の人生において“心の支え”になってくれる存在です。」
「……ふむ。」
しばしの沈黙。
会長はゆっくりとグラスの水をひと口含み、そして唐突に切り出した。
「婚約話がある。御曹司として、次代の礎を築く相手として、ふさわしい女性だ。」
「その話は受けません。」
「……即答だな。」
「心が決まっています。父さんの望む“型”には、もう僕は収まれない。」
会長は美里に目を向けた。
そのまなざしには、値踏みというより“本物かどうか”を見極める静かな圧があった。
「彼女の何を見た?」
「目を見て、“愛されている”と分かった。……それだけで十分です。」
しばらく会長は何も言わなかった。
やがて、ふっと力を抜いたように椅子に座り直す。
「いいだろう。だが、君が選んだその道には、甘えは許されん。美里さんも、どうか覚悟を。」
「はい……私は、覚悟しています。」
その声は震えていなかった。
真っ直ぐに、彼女の目は会長を見ていた。
テラスの上に、遠雷の音が響いた。
夏の嵐が、静かに近づいていた。
遠くの空を切り裂く稲光が、夜の庭を一瞬だけ白く照らした。
美里の肩をそっと包んだ泰雅の腕は、どこまでも頼もしかった。
彼の言葉の強さ、真っ直ぐさ、そしてこの手のぬくもり――すべてが、美里に「信じていい」と伝えていた。
「……ご無礼を、失礼しました。」
美里は会長に向かって頭を下げた。
自分が今、この家のどこに立っているのかを、痛いほど実感していた。
──私は、泰雅さんの“世界”に、まだ完全には溶け込めていない。
けれどその不安は、すぐに払拭される。
「もう、謝らなくていい。」
泰雅の言葉は、凛と響いた。
その口調には、もはや“息子”としての迷いはなかった。
「彼女は、僕にとって“選んだ未来”です。父さんが築いてきた過去を否定する気はありません。でも、僕は僕の道を歩きます。」
会長はグラスを置き、立ち上がった。
沈黙のまま数歩、美里の前に進み出る。
「……“心をつなぐ鍵”。懐かしいな。」
「えっ?」
美里が思わずペンダントを握る。
それは泰雅から贈られたもの、彼の亡き母の形見。
「それは……彼女に託したのか。」
「はい。」
「……なら、もう何も言うまい。」
一瞬だけ、会長の目に哀しみが過った。
そしてそれが、ふいにほどけるように穏やかになる。
「昔、あの鍵は“愛の証”として私が妻に贈ったものだったよ。……泰雅、お前はあの人に似てきたな。」
そのまま、会長は部屋を出て行った。
背中に滲んでいたのは、父としての未練か、男としての誇りか。
そのどちらとも取れる、静かな背中だった。
静寂が戻ったテラスで、美里は小さく息を吐いた。
「緊張しました……でも、不思議と怖くはなかったです。」
「君が真っ直ぐだったから、父さんも本気になった。……ありがとう。」
泰雅は、美里を優しく引き寄せた。
空からひとつ、雨粒が落ちてくる。
ふたりの額の間に、冷たい感触が降り立つ。
「……降ってきましたね。」
「でも、大丈夫。」
泰雅が上着を脱いで、美里の頭にそっと被せる。
「俺が守るって、決めたから。」
そう言って笑った彼の横顔は、光に濡れてもなお温かかった。
まるでこの雨さえ、祝福のシャワーのように思えるほどに。
【第11章『心の中の秘密』 終】