雨と妖精に導かれて ──御曹司CEOからの溺愛ラビリンス
【第13章『雨に映る真実』】
その朝、銀座の空は重く垂れ込めた雲に覆われていた。
空気は湿っていて、時折、傘を迷わせるような細かな霧雨が地面に舞い降りていた。
有栖川ホールディングスの銀座ショールームでは、今まさに緊張感が走っていた。
本日、新ブランド『A.R.S』の記者発表が控えている。
それは泰雅がCEOとして初めて手がけるプロジェクトであり、社運を賭けた一手でもあった。
ショールームの中央には、象徴的に配置された巨大なホログラムディスプレイが立ち上がっていた。
その中に浮かぶのは、“空間と時間を再構築するアート”をテーマにした、未来的なラインのドレスやジュエリー。
幻想的な演出は、美里が翻訳チームとして深く関わった“文化的背景の物語”によって支えられていた。
「雨か……。」
控室で、泰雅が天気を気にするように窓の外を見やった。
ネイビーブルーの三つ揃えにシルバーのタイ。
雨の光を反射して、その姿はまるで冷たい刃のように凛としている。
「でも、悪いことばかりじゃない気がするんです。」
傍らにいた美里がそっと囁く。
彼女はプレゼン資料の最終チェックを終え、髪をまとめ直していた。
「雨に映るものは、本当の姿を見せてくれる。……昔、祖母がそう言ってました。」
その言葉に、泰雅は一拍遅れて微笑んだ。
「君が言うと、雨も味方に思えてくる。」
ふたりの間に流れる時間は、どんな空模様にも揺るがなかった。
しかし、その静けさを打ち破るように、ドアが勢いよく開いた。
「失礼します!」
現れたのは、広報チームのスタッフ。
その顔には、明らかな緊張が浮かんでいた。
「……どうした?」
「……内部告発の報道が、今、SNSで拡散されています。“新ブランド『A.R.S』の経費に不正疑惑あり”という内容です。」
会場の空気が一変した。
「出どころは?」
「“内部資料を入手した”という匿名の投稿です。内容も詳細で、偽造領収書のコピーまで……」
「そんな馬鹿な……そんな書類、誰が……」
泰雅が目を細めた瞬間、別のスタッフが駆け込んできた。
「会場に、寛祐さんが……“発表を止めろ”と主張しています!」
「……寛祐。」
泰雅の目が冷たく光った。
彼は、かつての経営チームの一員であり、泰雅の才能に強い嫉妬心を抱いていた男。
そして、野心のために手段を選ばぬ危うさを秘めた存在でもあった。
「彼の目的は……何?」
「この場を混乱させて、社内信頼を崩すつもりです。」
「……いいだろう。相手をしてやる。」
泰雅はそう言って、ジャケットの裾を軽く整えた。
しかし、美里はふと、ある“違和感”を覚えていた。
「……これ、“彼が仕掛けた”のは間違いない。でも、寛祐さん……たぶん“全部”は知らない。」
「全部?」
「この“告発”の中に、彼の性格からして絶対に手を出さない細工が混じってます。」
「つまり……」
「誰かが“背後”にいる可能性が高いです。」
泰雅はその言葉を聞きながら、静かに頷いた。
「よし、美里。……頼んでもいいか?」
「もちろんです。」
その瞳には、恐れよりも使命感が宿っていた。
美里は、リュックから取り出した小さなアイテムに視線を落とした。
──アキが描いてくれた、“真実を映す鏡”。
ショールームの中央では、ざわめきが渦を巻いていた。
大スクリーンに表示されるはずだった新ブランドのメインビジュアルは、予告された時刻を過ぎても映し出されず、代わりに報道関係者がざわつく声ばかりが空間を埋めていた。
その緊迫した空間に、ゆっくりと泰雅が現れる。
その姿を見て、観客のざわめきは一瞬にして静まり返った。
「皆さま、本日はお足元の悪い中、お集まりいただきありがとうございます。……本来であれば、新ブランド『A.R.S』の世界をご覧いただく予定でしたが、先ほどより流布している“情報”により、プログラムを一時変更いたします。」
言い終わらぬうちに、会場の後方から鋭い声が飛んだ。
「その通りだ、有栖川泰雅!」
スポットライトが向けられた先にいたのは、寛祐だった。
ジャケットの裾をひるがえし、報道陣に向けて堂々と資料を掲げている。
「この中には、お前たちが使った偽造経費の証拠がそろっている! 社員の労働を搾取し、見せかけのラグジュアリーで金を巻き上げるブランドなど、今すぐに止めるべきだ!」
ざわめきが再燃する中、泰雅はその場に動じなかった。
「なるほど、それが“正義”のつもりか。」
「違うのか? 証拠がここにある!」
「……では、その“証拠”を、一つひとつ“真実”で上書きしよう。」
その言葉と同時に、美里がステージ袖から歩み出てきた。
彼女の手に握られていたのは、小さな丸い鏡。
それはアキが残した、“真実を映す鏡”。
「この鏡に、“偽り”は映りません。」
静かな声で、しかし確信に満ちた響きだった。
スタッフが一枚一枚コピーされた“証拠書類”を鏡の前にかざしていく。
すると、次々にその紙の上に別の“重ね書き”が現れる。
──本来のデータ。
──改ざんされたタイムスタンプ。
──合成された印影。
「この資料は……!」
報道陣がどよめく中、美里は説明を重ねていく。
「これは“寛祐さんが作った”ものではありません。彼が提出したフォーマットの一部が、第三者の手で改ざんされています。内容の多くは、AI編集ソフトと画像偽装で再構築されたものです。」
「まさか……俺が……使われた……?」
寛祐が顔色を失う。
「誰が?」
泰雅の問いに、会場後方からスーツ姿の男が立ち上がった。
かつて会長に近いポジションにいた中間幹部――社内改革で権限を剥奪された者のひとりだった。
「……お前さえいなければ、元に戻せたんだ。会社は、お前みたいな“感情論者”には任せられない!」
怒声とともに退出しようとする男に、スタッフが駆け寄る。
ざわめきは頂点に達し、そしてやがて静寂が訪れる。
泰雅は、改めてマイクの前に立った。
「“真実”とは、表面的な数字ではない。“誰のために何をしているか”に、宿るものだ。」
その言葉に、報道陣の誰もが言葉を失った。
美里の手の中で、“鏡”は静かに光を収めた。
もう、真実は“見せた”のではなく、“伝わった”のだ。
記者会見は再開され、改めて『A.R.S』のコンセプトと哲学が紹介される。
その背景には、美里が訳した多国籍の“愛の物語”が映像で流れ、誰もが黙ってその世界に見入っていた。
終演後、控室に戻ったふたり。
「ありがとう。」
「こちらこそ……」
泰雅は、美里の頬にそっと手を添える。
「君がいてくれたから、俺はこの会社を、守れた。」
「私も……この会社が、あなたが守ろうとするものを見て、やっと“自分の居場所”が分かった気がします。」
「……本当に、誇らしいよ。」
ふたりの間には、言葉にならない静けさと、深い尊敬と、愛があった。
外では雨がやんでいた。
窓の向こうには、雨上がりのアスファルトに、晴れ間の光が反射していた。
それはまるで、“雨に映った真実”が、ようやく世界に受け入れられた証だった。
【第13章『雨に映る真実』 終】
空気は湿っていて、時折、傘を迷わせるような細かな霧雨が地面に舞い降りていた。
有栖川ホールディングスの銀座ショールームでは、今まさに緊張感が走っていた。
本日、新ブランド『A.R.S』の記者発表が控えている。
それは泰雅がCEOとして初めて手がけるプロジェクトであり、社運を賭けた一手でもあった。
ショールームの中央には、象徴的に配置された巨大なホログラムディスプレイが立ち上がっていた。
その中に浮かぶのは、“空間と時間を再構築するアート”をテーマにした、未来的なラインのドレスやジュエリー。
幻想的な演出は、美里が翻訳チームとして深く関わった“文化的背景の物語”によって支えられていた。
「雨か……。」
控室で、泰雅が天気を気にするように窓の外を見やった。
ネイビーブルーの三つ揃えにシルバーのタイ。
雨の光を反射して、その姿はまるで冷たい刃のように凛としている。
「でも、悪いことばかりじゃない気がするんです。」
傍らにいた美里がそっと囁く。
彼女はプレゼン資料の最終チェックを終え、髪をまとめ直していた。
「雨に映るものは、本当の姿を見せてくれる。……昔、祖母がそう言ってました。」
その言葉に、泰雅は一拍遅れて微笑んだ。
「君が言うと、雨も味方に思えてくる。」
ふたりの間に流れる時間は、どんな空模様にも揺るがなかった。
しかし、その静けさを打ち破るように、ドアが勢いよく開いた。
「失礼します!」
現れたのは、広報チームのスタッフ。
その顔には、明らかな緊張が浮かんでいた。
「……どうした?」
「……内部告発の報道が、今、SNSで拡散されています。“新ブランド『A.R.S』の経費に不正疑惑あり”という内容です。」
会場の空気が一変した。
「出どころは?」
「“内部資料を入手した”という匿名の投稿です。内容も詳細で、偽造領収書のコピーまで……」
「そんな馬鹿な……そんな書類、誰が……」
泰雅が目を細めた瞬間、別のスタッフが駆け込んできた。
「会場に、寛祐さんが……“発表を止めろ”と主張しています!」
「……寛祐。」
泰雅の目が冷たく光った。
彼は、かつての経営チームの一員であり、泰雅の才能に強い嫉妬心を抱いていた男。
そして、野心のために手段を選ばぬ危うさを秘めた存在でもあった。
「彼の目的は……何?」
「この場を混乱させて、社内信頼を崩すつもりです。」
「……いいだろう。相手をしてやる。」
泰雅はそう言って、ジャケットの裾を軽く整えた。
しかし、美里はふと、ある“違和感”を覚えていた。
「……これ、“彼が仕掛けた”のは間違いない。でも、寛祐さん……たぶん“全部”は知らない。」
「全部?」
「この“告発”の中に、彼の性格からして絶対に手を出さない細工が混じってます。」
「つまり……」
「誰かが“背後”にいる可能性が高いです。」
泰雅はその言葉を聞きながら、静かに頷いた。
「よし、美里。……頼んでもいいか?」
「もちろんです。」
その瞳には、恐れよりも使命感が宿っていた。
美里は、リュックから取り出した小さなアイテムに視線を落とした。
──アキが描いてくれた、“真実を映す鏡”。
ショールームの中央では、ざわめきが渦を巻いていた。
大スクリーンに表示されるはずだった新ブランドのメインビジュアルは、予告された時刻を過ぎても映し出されず、代わりに報道関係者がざわつく声ばかりが空間を埋めていた。
その緊迫した空間に、ゆっくりと泰雅が現れる。
その姿を見て、観客のざわめきは一瞬にして静まり返った。
「皆さま、本日はお足元の悪い中、お集まりいただきありがとうございます。……本来であれば、新ブランド『A.R.S』の世界をご覧いただく予定でしたが、先ほどより流布している“情報”により、プログラムを一時変更いたします。」
言い終わらぬうちに、会場の後方から鋭い声が飛んだ。
「その通りだ、有栖川泰雅!」
スポットライトが向けられた先にいたのは、寛祐だった。
ジャケットの裾をひるがえし、報道陣に向けて堂々と資料を掲げている。
「この中には、お前たちが使った偽造経費の証拠がそろっている! 社員の労働を搾取し、見せかけのラグジュアリーで金を巻き上げるブランドなど、今すぐに止めるべきだ!」
ざわめきが再燃する中、泰雅はその場に動じなかった。
「なるほど、それが“正義”のつもりか。」
「違うのか? 証拠がここにある!」
「……では、その“証拠”を、一つひとつ“真実”で上書きしよう。」
その言葉と同時に、美里がステージ袖から歩み出てきた。
彼女の手に握られていたのは、小さな丸い鏡。
それはアキが残した、“真実を映す鏡”。
「この鏡に、“偽り”は映りません。」
静かな声で、しかし確信に満ちた響きだった。
スタッフが一枚一枚コピーされた“証拠書類”を鏡の前にかざしていく。
すると、次々にその紙の上に別の“重ね書き”が現れる。
──本来のデータ。
──改ざんされたタイムスタンプ。
──合成された印影。
「この資料は……!」
報道陣がどよめく中、美里は説明を重ねていく。
「これは“寛祐さんが作った”ものではありません。彼が提出したフォーマットの一部が、第三者の手で改ざんされています。内容の多くは、AI編集ソフトと画像偽装で再構築されたものです。」
「まさか……俺が……使われた……?」
寛祐が顔色を失う。
「誰が?」
泰雅の問いに、会場後方からスーツ姿の男が立ち上がった。
かつて会長に近いポジションにいた中間幹部――社内改革で権限を剥奪された者のひとりだった。
「……お前さえいなければ、元に戻せたんだ。会社は、お前みたいな“感情論者”には任せられない!」
怒声とともに退出しようとする男に、スタッフが駆け寄る。
ざわめきは頂点に達し、そしてやがて静寂が訪れる。
泰雅は、改めてマイクの前に立った。
「“真実”とは、表面的な数字ではない。“誰のために何をしているか”に、宿るものだ。」
その言葉に、報道陣の誰もが言葉を失った。
美里の手の中で、“鏡”は静かに光を収めた。
もう、真実は“見せた”のではなく、“伝わった”のだ。
記者会見は再開され、改めて『A.R.S』のコンセプトと哲学が紹介される。
その背景には、美里が訳した多国籍の“愛の物語”が映像で流れ、誰もが黙ってその世界に見入っていた。
終演後、控室に戻ったふたり。
「ありがとう。」
「こちらこそ……」
泰雅は、美里の頬にそっと手を添える。
「君がいてくれたから、俺はこの会社を、守れた。」
「私も……この会社が、あなたが守ろうとするものを見て、やっと“自分の居場所”が分かった気がします。」
「……本当に、誇らしいよ。」
ふたりの間には、言葉にならない静けさと、深い尊敬と、愛があった。
外では雨がやんでいた。
窓の向こうには、雨上がりのアスファルトに、晴れ間の光が反射していた。
それはまるで、“雨に映った真実”が、ようやく世界に受け入れられた証だった。
【第13章『雨に映る真実』 終】