雨と妖精に導かれて ──御曹司CEOからの溺愛ラビリンス
【第18章『幸福のサイン、再び』】
東京・代官山の夜は、静かな高級感に包まれていた。
その一角、歴史あるギャラリーの扉が、ふたたび開こうとしていた。
一夜限りの特別展──
泰雅が手がけた新ブランド『A.R.S』のデビュー記念として、アーティストとのコラボ作品が並ぶこのイベントには、業界関係者だけでなく、政財界の著名人までもが名を連ねていた。
美里は、黒のレースをあしらったミディドレスに身を包み、会場の空気を深く吸い込む。
肩には、彼から受け取った“心をつなぐ鍵”のペンダントが輝き、手には、アキが描いた“未来のサイン”のスケッチをしのばせたハードカバーのクラッチバッグ。
――ここで何が起きても、私は“彼の隣に立つ人”として、揺らがない。
そんな決意を込めて、深呼吸をひとつ。
しかし、その静かな決意は、ある報せによって一気に揺さぶられることになる。
「怜聖が……買収交渉側に寝返った?」
美里の耳元でささやかれたその言葉に、全身から血の気が引いた。
それは、誰よりも信じていた“右腕”の裏切り。
しかも、泰雅が最も大切にしていた信頼関係にヒビを入れる、決定的な報せだった。
「泰雅さん、これ……」
「知ってた。……けど、君の口から聞きたくなかったな。」
静かにそう答えた彼の横顔には、怒りも焦りもなく、ただ静かな哀しみがにじんでいた。
「でも俺は、怜聖を責めない。彼なりの理由があるはずだから。」
「……どうしてそこまで信じられるんですか?」
「信じてきた時間があるからだよ。そして俺は……信じた人を最後まで守りたい。」
その言葉に、美里は自分の中の“怖れ”が、少しだけ溶けていくのを感じた。
「……だったら、私も信じます。“彼が戻る場所”として、あなたの隣にいるって。」
泰雅は、そっと彼女の手を握った。
「ありがとう。それが……今夜、俺が欲しかった“幸福のサイン”だよ。」
代官山のギャラリーは、静かなざわめきに満ちていた。
キャンバスに映るアートと、照明に浮かび上がるガラスのオブジェたち。
そのひとつひとつが、泰雅のブランドの哲学──“心に触れるものだけが価値を持つ”というコンセプトを物語っていた。
美里は、会場の奥で一人の男性の背中を見つけた。
怜聖だった。
ダークグレーのスーツに、わずかに緩めたネクタイ。
どこか疲れたようなその後ろ姿に、かつての冷静で理知的な印象はなかった。
「……怜聖さん」
呼びかけると、彼は振り返った。
そして、少し驚いたように目を細める。
「美里さん……来たんだ、こんな夜に。」
「“あなたの理由”を、知りに来ました。」
その言葉に、怜聖は一瞬だけ、苦笑した。
「理由ね……あるといえばある。ないと言えば、すべて言い訳になる。」
彼はふと視線を横にそらし、遠くの展示物を見つめた。
「俺はずっと、泰雅の才能を羨ましかった。彼には、人を惹きつける力がある。カリスマ性とか、情熱とか……俺にはないものばかりだった。」
「でも、あなたには冷静な判断力と、誠実さがあったはずです。」
「それすらも、彼といると霞むんだよ。」
美里は静かにうなずいた。
「あなたは今、彼の隣ではなく、“対面”に立った。でも……きっと彼は、あなたを責めません。だから私も……責めたくない。」
「……そんなふうに言われると、余計につらくなるね。」
怜聖の声に、かすかに悔しさが滲む。
「俺は自分のために、泰雅と戦うつもりだよ。でも、これは“友情”を捨てるって意味じゃない。いつかまた、胸を張って会えるようにするために。」
「……きっと、それが“幸福のサイン”の本当の意味なんですね。」
「……どういうこと?」
「アキくんが描いた“幸福のサイン”って、見えるものじゃなくて、互いが心の中に持ち続ける約束のことかもしれないって、さっき泰雅さんが言ってました。」
怜聖は少しだけ、視線を落とした。
「……あいつ、変わったな。昔なら、俺のことなんて迷わず切り捨ててたのに。」
「変わったんじゃないです。……信じる人が、できたんです。」
その瞬間、怜聖の肩がわずかに揺れた。
それは、悔しさでも敗北でもなく、どこか安堵にも似たものだった。
「……じゃあ、俺もちゃんと変わらなきゃな。」
彼は、美里に小さく頭を下げた。
「ありがとう。今夜、会えてよかった。」
その言葉を胸に、美里はギャラリーをあとにした。
外に出ると、泰雅が待っていた。
彼は何も聞かず、ただ美里の手を取った。
「行こう。もう、迷うことはない。」
ふたりの間に、言葉はいらなかった。
その手のぬくもりが、今夜の“答え”だった。
夜風が、軽やかにふたりの髪を揺らした。
幸福のサインは、確かにそこにあった。
【第18章『幸福のサイン、再び』 終】
その一角、歴史あるギャラリーの扉が、ふたたび開こうとしていた。
一夜限りの特別展──
泰雅が手がけた新ブランド『A.R.S』のデビュー記念として、アーティストとのコラボ作品が並ぶこのイベントには、業界関係者だけでなく、政財界の著名人までもが名を連ねていた。
美里は、黒のレースをあしらったミディドレスに身を包み、会場の空気を深く吸い込む。
肩には、彼から受け取った“心をつなぐ鍵”のペンダントが輝き、手には、アキが描いた“未来のサイン”のスケッチをしのばせたハードカバーのクラッチバッグ。
――ここで何が起きても、私は“彼の隣に立つ人”として、揺らがない。
そんな決意を込めて、深呼吸をひとつ。
しかし、その静かな決意は、ある報せによって一気に揺さぶられることになる。
「怜聖が……買収交渉側に寝返った?」
美里の耳元でささやかれたその言葉に、全身から血の気が引いた。
それは、誰よりも信じていた“右腕”の裏切り。
しかも、泰雅が最も大切にしていた信頼関係にヒビを入れる、決定的な報せだった。
「泰雅さん、これ……」
「知ってた。……けど、君の口から聞きたくなかったな。」
静かにそう答えた彼の横顔には、怒りも焦りもなく、ただ静かな哀しみがにじんでいた。
「でも俺は、怜聖を責めない。彼なりの理由があるはずだから。」
「……どうしてそこまで信じられるんですか?」
「信じてきた時間があるからだよ。そして俺は……信じた人を最後まで守りたい。」
その言葉に、美里は自分の中の“怖れ”が、少しだけ溶けていくのを感じた。
「……だったら、私も信じます。“彼が戻る場所”として、あなたの隣にいるって。」
泰雅は、そっと彼女の手を握った。
「ありがとう。それが……今夜、俺が欲しかった“幸福のサイン”だよ。」
代官山のギャラリーは、静かなざわめきに満ちていた。
キャンバスに映るアートと、照明に浮かび上がるガラスのオブジェたち。
そのひとつひとつが、泰雅のブランドの哲学──“心に触れるものだけが価値を持つ”というコンセプトを物語っていた。
美里は、会場の奥で一人の男性の背中を見つけた。
怜聖だった。
ダークグレーのスーツに、わずかに緩めたネクタイ。
どこか疲れたようなその後ろ姿に、かつての冷静で理知的な印象はなかった。
「……怜聖さん」
呼びかけると、彼は振り返った。
そして、少し驚いたように目を細める。
「美里さん……来たんだ、こんな夜に。」
「“あなたの理由”を、知りに来ました。」
その言葉に、怜聖は一瞬だけ、苦笑した。
「理由ね……あるといえばある。ないと言えば、すべて言い訳になる。」
彼はふと視線を横にそらし、遠くの展示物を見つめた。
「俺はずっと、泰雅の才能を羨ましかった。彼には、人を惹きつける力がある。カリスマ性とか、情熱とか……俺にはないものばかりだった。」
「でも、あなたには冷静な判断力と、誠実さがあったはずです。」
「それすらも、彼といると霞むんだよ。」
美里は静かにうなずいた。
「あなたは今、彼の隣ではなく、“対面”に立った。でも……きっと彼は、あなたを責めません。だから私も……責めたくない。」
「……そんなふうに言われると、余計につらくなるね。」
怜聖の声に、かすかに悔しさが滲む。
「俺は自分のために、泰雅と戦うつもりだよ。でも、これは“友情”を捨てるって意味じゃない。いつかまた、胸を張って会えるようにするために。」
「……きっと、それが“幸福のサイン”の本当の意味なんですね。」
「……どういうこと?」
「アキくんが描いた“幸福のサイン”って、見えるものじゃなくて、互いが心の中に持ち続ける約束のことかもしれないって、さっき泰雅さんが言ってました。」
怜聖は少しだけ、視線を落とした。
「……あいつ、変わったな。昔なら、俺のことなんて迷わず切り捨ててたのに。」
「変わったんじゃないです。……信じる人が、できたんです。」
その瞬間、怜聖の肩がわずかに揺れた。
それは、悔しさでも敗北でもなく、どこか安堵にも似たものだった。
「……じゃあ、俺もちゃんと変わらなきゃな。」
彼は、美里に小さく頭を下げた。
「ありがとう。今夜、会えてよかった。」
その言葉を胸に、美里はギャラリーをあとにした。
外に出ると、泰雅が待っていた。
彼は何も聞かず、ただ美里の手を取った。
「行こう。もう、迷うことはない。」
ふたりの間に、言葉はいらなかった。
その手のぬくもりが、今夜の“答え”だった。
夜風が、軽やかにふたりの髪を揺らした。
幸福のサインは、確かにそこにあった。
【第18章『幸福のサイン、再び』 終】