蜜味センチメンタル
羅華はスフレの器をそっと抱きしめるように手に持った。
器のぬくもりはもう失われているのに、不思議と心の奥にはあたたかさが広がっていく。
「……ありがとう、那色くん」
「いえ……僕こそ、です」
那色の声はいつもと変わらず、やさしくて、安心させてくれるトーンだった。
笑顔も、変わらない。羅華も、自然と微笑み返す。……けれど、その笑みに、少しだけ時間がかかった。
——どうして、私は……
チョコレートスフレの包み紙に添えられた小さなキャッチコピー、「甘いひととき」。
それはまさに、いまのふたりの時間そのもののように感じられた。
穏やかで、何気なくて、でもちゃんと特別。
那色といると、いつだって心がふっと柔らかくなる。
だからこそ、なのに。
自分のことを大切にしてくれるのに。
——最低だ、私……
ふとした瞬間に浮かべてしまう光景。
母のこと。病室の白い匂い。
そして、あの声。
もう終わったはずの過去。
戻らないと決めた記憶。
なのに、心のどこかが揺れる。
ほんのわずかな重力で、かすかに引き戻されるように。
那色が好き。
本当に……ちゃんと、好きなはずなのに。
どうして、こんなふうに迷ってしまうんだろう。
どうして、今さら揺れるんだろう。
目の前にいる彼をまっすぐ見られない自分が、いやだった。
気づかれたくない、とも思った。
けれど、那色はきっともう、気づいている。
そんな気がした。
あたたかくて、優しくて、でもまっすぐな彼の目。
その奥で、ほんの少しだけ波立ったものを見てしまった気がする。
スフレをそっと、ひとくち食べた。
甘くて、やさしい味が広がる。
けれど胸の奥のざわつきまでは、溶かしてくれなかった。