蜜味センチメンタル
———

病院に到着して母の病室の扉を開けた瞬間、ほのかに漂う消毒薬の匂いが胸の奥をじわりと押してくる。

小さな窓から差し込むやわらかな光が、白いカーテンを透かして揺れていた。

「……羅華ちゃん。来てくれたのね」

ベッドの上、母は静かな顔でこちらを見ていた。
口調はどこか弾んでいて、羅華の姿を見て明らかにほっとした様子だった。

「うん。……当たり前じゃない」

羅華はぎこちなく微笑み、花柄の紙袋をテーブルに置いた。
中には、母の好きなお菓子とハンドクリーム。ぎこちなさを誤魔化すため、自分なりの精一杯だった。

「体調はどう?」

「おかげさまで。薬も合ってきたみたい。……先生が、うまく調整してくださってるのね」

「先生」という言葉に、微かな緊張が走る。
その名前が出ることは覚悟していた。けれど、実際に聞くと、心の奥に触れられたような鈍い痛みがあった。

しばらく互いにきまずい空気が流れ、無言の時間が続いた後——呟くように、母がぽつりと声を漏らした。


「……弥くん、立派になったわね」


母は、まっすぐにそう言った。
ただ事実を語るように、静かに。

嘉島(かしま)弥。
その名前は、何度も忘れようとした。それなのに、こうして誰かの口から聞くと、胸の奥のほつれた部分がまた疼き出す。

——立派になった。
たぶん、それは本当なのだろう。
担当医としての彼は、礼儀正しく、的確で、頼れる人だと思う。

だけど羅華の中では、時間が止まっている。
あの日のまま、傷ついたまま、壊れたまま。

そんな羅華の顔を見ることなく、母は続ける。

「診察のときもね、私の顔をちゃんと見て、ひとつひとつ丁寧に話してくれるの。副作用のことも、これからのことも……まるで、私の気持ちまで考えてくれているみたいで」

母の声には、かすかに感情がにじんでいた。
それが温かいものであることがわかって、羅華の心はまたひとつ揺れた。

「最初に彼の顔を見たときは驚いたわ。正直嫌だった。でも……不思議ね。こうして真摯に接してもらうと、つい、過去のことなんて忘れてしまいそうになるの」

「……」
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