蜜味センチメンタル
コーヒーが冷めるのも忘れ、しばらくのあいだ寄り添っていた。ただ静かに、触れあう鼓動を感じていた。
——私…行かなきゃ。
耳から伝わる音を聞きながら、そう思った。
「ねえ、那色くん」
決意に満ちた声で、羅華は那色を呼ぶ。
「……やっぱり私、今日行ってくるよ」
「うん?」
那色が視線を落とし、見上げる羅華はやさしく笑った。
「お母さんに会いに行って、それから……ちゃんと、先輩に話してくる」
その名を出したとき、那色のまなざしが一瞬だけ揺れた。けれど何も言わず、ただ頷いた。
「行ってらっしゃい。……気をつけて」
「ありがとう」
羅華は立ち上がり、コートを羽織った。玄関に向かう背中に、那色の気配がそっと重なる。
ドアノブに手をかけたとき、ふいに思い出したように振り返る。
「……那色くん」
「はい」
「お昼すぎには帰るから。そのとき、ちゃんとただいまって言いたい。……待っててくれる?」
そっと手を取ると、那色は一瞬だけ目を伏せ、そして笑った。
「……はい」
どちらともなく顔を寄せ、キスを交わす。
部屋に溜まった冷たい冬の空気が足元を撫でる。その寒ささえも、不思議と心地よかった。
——もう、迷わない
きちんと終わらせて、そして、あたらしい始まりを迎える。
背筋を伸ばして那色を見つめる目には、もう迷いはなかった。