蜜味センチメンタル

コーヒーが冷めるのも忘れ、しばらくのあいだ寄り添っていた。ただ静かに、触れあう鼓動を感じていた。

——私…行かなきゃ。

耳から伝わる音を聞きながら、そう思った。

「ねえ、那色くん」

決意に満ちた声で、羅華は那色を呼ぶ。

「……やっぱり私、今日行ってくるよ」

「うん?」

那色が視線を落とし、見上げる羅華はやさしく笑った。

「お母さんに会いに行って、それから……ちゃんと、先輩に話してくる」

その名を出したとき、那色のまなざしが一瞬だけ揺れた。けれど何も言わず、ただ頷いた。

「行ってらっしゃい。……気をつけて」

「ありがとう」

羅華は立ち上がり、コートを羽織った。玄関に向かう背中に、那色の気配がそっと重なる。

ドアノブに手をかけたとき、ふいに思い出したように振り返る。

「……那色くん」

「はい」

「お昼すぎには帰るから。そのとき、ちゃんとただいまって言いたい。……待っててくれる?」

そっと手を取ると、那色は一瞬だけ目を伏せ、そして笑った。

「……はい」

どちらともなく顔を寄せ、キスを交わす。


部屋に溜まった冷たい冬の空気が足元を撫でる。その寒ささえも、不思議と心地よかった。

——もう、迷わない
きちんと終わらせて、そして、あたらしい始まりを迎える。

背筋を伸ばして那色を見つめる目には、もう迷いはなかった。
< 201 / 320 >

この作品をシェア

pagetop