蜜味センチメンタル
———


病院に着いたのは、昼前だった。
冬の曇り空が低く垂れ込め、風はないのに空気はひどく冷たい。

足早にロビーを抜け、病棟のエレベーターに乗り込む。反射した自分の顔が、少しだけ強ばって見えた。

静かに心を決め、病室のドアを開く。

母の病室は、先日と変わらず穏やかだった。いつものようにベッドに座って、母は薄いストールを肩にかけていた。

「……羅華ちゃん?あなた仕事は……」

「休みだよ。だから、会いにきた。……お母さんと、ちゃんと話したかったから」

母の顔が強張った。そのまま、ふたりのあいだに少しの沈黙が落ちた。

羅華はそっと視線を落とし、ベッド脇のテーブルに置かれた水差しに目をやった。

「……前に来たとき。診察室で少しだけ、弥くんと話したの」

母の眉がわずかに動く。

「……まだ私のことが忘れられないって、言われたよ」

羅華は苦笑のような吐息をこぼしながら、ぽつりと言った。母はひどく悲しい顔をし、言葉を失っていた。


「お母さん。私、お母さんを恨んでないよ」



そう言いながらも、声は少しだけ震えていた。
羅華はゆっくりと母の方を向いた。

「……でもね、ずっと苦しかった。どうしてあのとき、離れなきゃいけなかったのかって。私がどれだけ弥くんを好きだったか、みんな知ってたはずなのにって……何度も、思った」

母は俯いたまま、小さく唇を噛んだ。

「だけど…お母さんの気持ちだってわかってた。親としての不安とか、心配とか……あんなに大好きだったお父さんに裏切られて、辛くて、私に縋るしかできなかったことも。だから——」

羅華は、ベッドのそばに置かれた椅子に腰を下ろした。

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