蜜味センチメンタル
・*†*・゚゚

式典PR撮影が終わった後の控室は、嘘みたいに静かだった。スタッフたちは次のセッティングへ移動し、照明もすでに落とされている。

残っているのは机の上に置かれたペットボトルの水と、使いかけのメイク用ティッシュだけ。

羅華はひとり、控室の片付けを進めていた。手に持った資料の角を、無意識に何度も指先でなぞっていた。

「……まだいたんだ」

背後から声がかかったのは、そのときだった。

振り返らずとも分かる。藍良だ。

ゆっくりと入ってくるヒールの音。静寂に溶け込むような足音が、かえって胸を締めつける。

羅華はそっと振り返った。


「……お疲れさまでした」

精一杯仕事のトーンを保って言うと、藍良はふっと嘲るように笑った。

「ちょっと。あからさまに避けようとしないでよ」

急に昔の口調に戻った藍良に、羅華の心臓がどくりと嫌な音を立てる。

羅華の心臓が嫌な音を立てて跳ねた。あの頃の空気が、一瞬で蘇る。

——どうして、いまその口調で。

「……避けてなんか、いません」

かすれる声で返すと、藍良はヒールの音を響かせながらわずかに間合いを詰める。

「ほんと?でも目を合わせようともしないじゃない。そういうところ、変わってないのね」

笑っているのに、声は鋭い。表面上は大人の余裕を装いながら、その奥には明確な棘が潜んでいた。

「……今になってまた《《私たち》》の前に現れてきてさ。ほんとあんたって、どこまでも図々しいよね」

その言葉は決して冗談ではなかった。憎しみとも軽蔑ともつかない感情が滲んでいた。

羅華は唇をかすかに噛み、何も言えずに立ち尽くす。
< 239 / 320 >

この作品をシェア

pagetop