蜜味センチメンタル
那色は静かに目を伏せ、その目元には寂しさがにじんでいた。
「……それでも、忘れられない記憶があるんです」
「……?」
「母の葬儀の日、あの人、ずっと泣いてたんです。僕は喪失感で全く泣けなかったのに。なのに……あの人は、母の名前を呼んで、何度も謝ってた。“すまなかった”って」
一瞬、言葉が途切れる。
「正直どの面下げてって思いましたよ。……そんなに泣くくらいなら、なんであんな不誠実なことしたんだ……って。怒りで、おかしくなりそうでした」
棘を含んだ声。けれどその奥にあるのは、言葉にできない感情の澱だった。
「でも、母は……一度だってあの人のことを悪く言わなかった。亡くなる直前まで、笑ってた。父の前でも、最期まで……笑ってたんです」
カップを置き、那色はそっとソファに背をあずける。
「……それが、母の答えなんだと思う」
羅華は、少しだけ考えるようにしてから口を開く。
「……そうだね」
言葉はすぐには出てこなかった。けれど、彼の気持ちに応えたくて、ゆっくりと続けた。
「那色くんは……そのままでいいと思う。許せないって思う気持ちも、全部」
一度、言葉を飲み込んでから、もう一度だけ伝える。
「……たぶん、那色くんのお父さんも、許されることを望んでるわけじゃないと思うから」
那色は、黙って頷いた。
ふたりの間に、静かな余韻が流れる。
しだいに那色は羅華の肩にそっと寄りかかり、目を閉じた。
すぐ隣で、彼の吐息が一定のリズムで続いている。それに混じって少しだけ鼻をすする音がしたけれど、羅華は何も言わず、気づかないふりをした。
──この人隣で、ずっと寄り添っていたい。
そう思いながら、羅華は深く息を吐いた。
長い一日だった。
けれど、そのすべてが──確かに未来へつながっている気がしていた。