蜜味センチメンタル
那色はそう言って羅華の横を通り過ぎていく。
廊下へと続くドアが静かに閉められたのは、着替えに気を遣ってくれたのだろうか。そんなことをふと思った。
——振り回す、なんて。それはこっちの台詞だよ
何をされても拒みきれない。流されてしまう。
一昨日の夜だって、那色が途中でやめなければあのまま抱かれていた。
羅華の涙の原因を察したかどうかは分からない。けれどもし那色が本当にただ自分の欲に忠実なだけの男だったなら、気づかないふりをして、そのまま最後まで事を進めていたはずだ。
だからこそ、那色を突き放せない。それを知ってしまったから。気付いてしまったから。
軽薄な言動の奥に時折見え隠れする、彼の温かさに。
悪夢から覚めた時に握られた手はあまりに優しかった。見下ろす視線には、確かに労りがあった。
優しい言葉は言わない。余計な事は聞かない。けれど、ただ静かに寄り添おうとする気配だけが、そこにはあった。
思えば最初から彼はそうだった。
過去に縋り続ける羅華に今を生きろと、貴重な羅華の人生を蔑ろにするなと叱咤してくれたのは那色だけ。
それが思いやりかと言われれば、きっと思い過ごしだ。
けれどどんな慰めの言葉よりも心に響いたのはたぶん、そこにあった彼の不器用な優しさが確かに伝わってきたから。
——那色くんの言う通り、私は…
心が揺れ始めてる。先輩と別れて以来初めてのこと。このまま那色の甘い言葉に流されてしまえばもしかしたら、この気持ちにも区切りがつけられるのかもしれない。
でも、それができないのは、怖いから。
どれだけ甘いことを言われても、那色が飽きた瞬間に捨てられる。
それが分かっていて簡単に飛び込めるほど、恋に対する耐性なんて、できていない。
「羅華さーん。まだですかー?ブラのホックが止められないならお手伝いしますよ」
ドアの向こうから聞こえる声に、思わず肩が震えた。
余韻が一瞬でかき消され、配慮に欠けた物言いに頭痛が走る。
「…っ、違うから!すぐだから大人しくそこで待ってて!」
結局、自分の気持ちに折り合いがつかないまま。
再び急かす声に背中を押されて、羅華は慌てて着替えを始めるしかなかった。