蜜味センチメンタル
店内はほどよい音量で流れるジャズの旋律が、柔らかに空気を揺らしていた。サックスの低く甘い音色に包まれていると、それだけで心が少しほぐれていく。
──癒される
そう思いながらも、羅華は何気ない素振りで店内を一瞥する。カウンターの奥、窓際の席。しかしそこにあの美しい青年の姿はなかった。
「那色なら今日は休みだよ」
思考を読まれたようなタイミングで、大和がそう言った。
一瞬、どきりと心臓が跳ね、羅華は無意識に頬へ手をやった。熱がじわりと上っているのが分かる。
「…知ってます。前に教えてもらったので」
「そうだったね」
大和は笑って、軽やかな手つきでリキュールとオレンジジュースをグラスに注ぐ。グラス越しの色合いもどこか穏やかで、眺めているだけで少し気が紛れる。
差し出されたそれを受け取り、羅華は小さく礼を言って口をつけた。甘さと柑橘の香りが舌に広がり、思わずほっと息が漏れる。
「先週は大丈夫だった?」
ふと、大和が声をかけてきた。
「えっ、」
「体調悪かったって。顔出せなくてごめんね」
「…ああ、いえ、そんな…」
「那色が珍しく真剣に頼んでくるから了承したけど、ちゃんと大人しく送り届けたって思っていいんだよね?」
「……えっ…と…」
口をつぐみ、曖昧な笑みがこぼれる。何もないと言えば嘘になるし、かといって何かあったと言うには、それはあまりにも小さな出来事。
──キスくらい、騒ぐことでもない…とは、思う
羅華自身、拒まなかったことがずっと胸に引っかかっている。何より、それを言葉にしたところでどう説明すればいいのか見当もつかない。
黙っている間に、誤魔化すチャンスも逃してしまった。
「…え、なに、その微妙な反応。まさかと思うけど…」
じとりとした視線が突き刺さり、羅華は慌てて首を横に振った。
「大和さんが心配するようなことは何もありません!」
「心配するレベルじゃない程度には何かあったってこと?」
「い、いえ何も!本当に、そういうのではなく…」
とっさに否定するものの、言葉が詰まる。大和と那色の関係を知ってしまったからこそ、彼が保護者としての立場で心配してくれているのがわかる。
これまでたくさん世話になってきた人に、不安な思いはさせたくない。
誤魔化すよりも正直に伝えたほうがいいと、羅華は思った。