蜜味センチメンタル
「ちょっと」
那色がグラスを手に戻ってきたのはちょうどその時だった。
少し不機嫌そうに見える顔が、大和と羅華を交互に見た。
「人が接客中なのをいいことに独り占めしないでくださいよ。僕だって羅華さんと話したいんだから」
「お前が呼ばれたんだからお前が接客するのが当たり前だろ?」
冗談めかした口調で返す大和に那色は口を噤む。
意味ありげな視線をジッと向けると、大和は「分かったよ」と苦笑した。
「じゃあ、邪魔者は退散しますよ」
そう言って、大和は作業スペースに載せていた手を下ろし、軽く手を上げてカウンターを出る。
そのままホールへ向かう姿を、黙って見送った。
那色は手にしていたグラスをシンクへ下ろすと、ゆっくりと視線を上げる。
「羅華さん」
ほんの一拍の間を置いて、那色はそっと言葉を続けた。
「今夜は…家に行ってもいいですか?」
一瞬、聞き返しそうになった。けれど那色は、いたって真剣な眼差しで彼女を見ていた。
「…でも私、結構疲れてるから来てもすぐに寝ちゃうよ」
「いいんです。今日はどうしても、一緒ににいたいんです」
声は静かだったけれど、嘘のようには思えなかった。
言葉の端に、ほんの少しだけ寂しさが滲んでいることに気づいてしまい、気付いたら「いいよ」という言葉が口をついていた。
その笑顔はいつものように軽やかで、それでいて、どこかほっとしたような色を帯びていた。
「ありがとうございます。じゃあ、バイト終わったら連絡しますね」
「……うん」
グラスの中で揺れる液体を、そっと口に含む。
微かな苦味が喉を滑るその一瞬に、確かに、今夜だけは心が少しだけ軽くなった気がした。