元悪役令嬢、悪女皇后を経て良妻賢母を目指す 〜二度目は息子に殺させない〜

また死んじゃうの?

 アルフォンス殿下の学園入学の日を機に、貴族たちからの私に対する評価が、ガラリと一変した。それまでの嫌悪感は薄らぎ、多少の好意を見せる者が増えるくらいに。

 そうして私にはこの頃、もう一つの変化が訪れていた。
 件の入学式の翌日から、妃教育が始まったのだ。
 
 この帝国には本来、『妃教育』と呼ばれるものは存在しない。
 代々の婚約者候補も上位貴族の令嬢が多くて、そのような令嬢たちは皇室がわざわざ教育を行わずとも、実家で幼い頃から『妃』になってもやっていけるだけの教育を施されている。そういった前提があるからね。

 だから開始時期にも、特別な決まりはなくて。
 年齢で決められるものでもないし、誰が決めるべきかも定められていない。

 私の場合は、皇后陛下が決めてくださった。
 アルフォンス殿下のメラヴィオ学園入学に合わせて開始する。
 婚約当初に陛下が、そう知らせてくださったのだ。

 おかげさまで、公爵邸での畑デートや皇城での料理デートも経験できたし。
 だいぶ婚約者らしくなって、本心から寂しい気持ちで殿下をお見送りすることもできた。寂しいけれど、これは本当に有難い感情だ。


 それから数ヶ月が経って、日差しが強くなる頃。
 殿下は以前にも増して、手紙を書いてくださるようになった。

 手紙には、次に会う時に植えたい苗の話や、異国から取り寄せたい調味料の話など、家族に対して書くような話題が溢れていて。
 地味な話題だけれど、とっても嬉しくて——。
 会える日と同じくらい、手紙を受け取ることも待ち遠しくなった。

 こうして殿下と私は遠距離恋愛を楽しむ日々を送っているのだが、第一皇子であるお兄様——アレクシス殿下の周りが騒がしい。

 第一皇子殿下は、隣国から迎えられたご側室と皇帝陛下の間に生まれたお子さんだ。アルフォンス殿下とは異母兄弟にあたるのだけれど、そのお母様が、皇帝陛下以外の男性と密通したとかしないとか。
 
 ——いわゆる『不義密通』のスキャンダルである。

 まだ疑いに過ぎない話ではあるが、その密通の時期によっては、お二人の殿下は異母兄弟どころか兄弟ですらなくなる可能性も含んでいると聞く。

 ——だいぶ深刻な事態になったわね。


 貴族たちが心配するふりで楽しく噂話を広げるのは、お約束というか想定内として。アレクシス殿下のお気持ちは、どんなだろう——。

 考えるだけでも私は、自分のことのように辛くなった。
 
 彼は前世で私の夫だった人だ。
 少なからぬ縁は感じているし、他人事とは思えない気持ちも湧いてくる。


 ◇

 そんな事情で暗い気持ちの日もあるけれど、今日も馬車で皇城へ向かう。
 今日はダンスの授業だったわね——。

 殿下とのダンスを想像すると、顔がニヤけたみたい。
 侍女のリズが両頬に手を当てて、大袈裟に驚く仕草を見せる。

「お嬢様が恋をするお年頃になるなんてぇ〜、リズは信じられませんっ!!」


 和やかな時間を過ごせるかと思った矢先、突然の出来事だった。
 馬車が傾いて、一気に横転した——。
 ガタンッと音がしたかと思うと一気に、身体がぐるんと回ったのだ。

 そうして頭が下になった体勢で、首が不自然に圧迫されて。
 グッと呼吸が詰まって息苦しくなるのを、私はなす術もなく感じていた。

 その後は、開いてしまったドアから投げ出されて——……。
 今度は地面に叩きつけられて、経験したことのない衝撃に襲われた。

 もう声も全く出せない、うめき声がやっとだわ。
 どうしよう——どうしたらいいの?

「——っ……お嬢様!大丈夫ですか…………?」

 侍女のリズが、私に覆いかぶさっている。
 身を呈して、倒れてくる馬車から私を守ろうとしてくれたのだろう。

 早くどうにかしてあげなくちゃ——。

 そんな考えも虚しく、身体はピクリとも動かない。
 どうやら既にリズは気を失ったようだ。

 そうこうしているうちに、生温かい液体が額から頬を伝ってきて——。
 ドレスの襟元を濡らしていくのが分かる。

 徐々に恐怖が襲ってきて、それと同時に涙も溢れ出した。

 どうしよう——視界が狭まっていくのが分かるよ。
 誰も来てくれないの?

 ——御者は?
 ——あぁ……リズ、ついてない主人で本当にごめんね。

 そうしてようやく痛みを感じ始めた頃、私の意識はぷつりと途絶えた。

 また死んじゃうのかな——。


 ◇

 人の話し声や衣擦れの音、そばで誰かが動く気配。
 全て感じているのに、それでも瞼が開かない——。

 まるでベッドに縫い付けられたかの如く、身体も動かせないし。

 ——あぁそうか、私、もう死んでるのかしら?

 お父様、お兄様、二度目は良い関係を築けていたのに——ごめんなさい。
 アルフォンス殿下、せっかく婚約者に選んでいただいたのに——申し訳ありません。


 思いを巡らせたところまでは確かに覚えている。
 だけどその後はまた、深い眠りに落ちたようだ。

 ちょうど目を覚ました時——…
 泣き顔のお兄様と頭を抱えるお父様が視界に飛び込んできた。
 一番最初に見えたのが家族の顔で、私は心から安心した。

「お、おとうさ……ま……」

 やっと声を絞り出したけれど、全く息が続かない。
 これはけっこう、やられちゃったわね。

「ティナ!よかった!!……見えるかい?」

 叫びにも近いお父様の声が聞こえるのだけれど、ダメだわ。
 視界がまだボヤけたままだ——。
 これじゃあ、まだ見えるとは言えないか。

 私がゆっくりと首を横に振ると、お兄様のすすり泣く声まで聞こえてくる。
 いったい私はどんなことになっているのだろう。

「アルフォンス第二皇子殿下がお見えになりました!」

 何も分からなくても、そう聞こえた瞬間——なぜか涙が溢れた。
 視界ははっきりしなくても、殿下の息遣いを感じることはできるから。
 
「クリスティナ……クリスティナ……」

 何度か名前を呼んで下さったけれど、かなり動揺されているようで。
 すすり泣く声以外は、全く聞こえなくなった。

 ——早く慰めてあげなくちゃ。

「で……んか……」

 かすれた声しか出ないけれど、ちゃんと伝えないと。
 また死んじゃうかもしれないなら、ちゃんと——。

 自分のものとは思えないほど重い腕を、私は必死で持ち上げた。
 ようやく伸ばしたその手を、殿下がギュッと握り返してくださって。

 ——もう思い残すことはないわね。

 とう思ったところでまた、ぷつりと記憶が途切れた。
 また意識を失ったのだろうか。
 もうどのくらいこうして寝かされているのだろう?

 ——もう死んでいるのなら、誰か教えてください。一刻も早く。


「はぁ、はぁ、はぁ……」

 急に息苦しくなって、一生懸命に深く呼吸をしてみる。
 それを数回繰り返しただろうか?

 自然と目が開いて、視界もはっきりしたような気がする。
 けれど部屋の中を見回しても、誰もいなくて。

 ——枕元のベル、これを鳴らしてみようか。
 そう思って手を伸ばして、控えめな音で人を呼んでみる。

 するとどうだろう、扉の向こうから姿を現したのは、意外な人物だった。
 ドアの音もけたたましく血相を変えて飛び込んできたのは、皇帝陛下だったのだ。

「クリスティナ嬢、よかった!目覚めたのだな。神よ……ありがとうございます」
「陛下、ここは皇城ですか?」
「ああ、そうだ。馬車の事故に遭ったのだぞ。もう2日も前の話だが」
「お父様とお兄様は公爵邸でしょうか?」
「今朝までずっと付き添っておったが、先ほど一旦戻らせた。体がもたんと思ってな。アーノルドもイアンも珍しく取り乱しておったわ。泣く姿など初めて見た」
「それで陛下が傍にいてくださったのですね?ありがとうございます」

 しばらくすると、アルフォンス殿下も駆けつけてくださったのだけれど。
 家族以上に泣いたのではないか、そう思うほど目を腫らしている。

「よく目覚めてくれたね。クリスティナ……」

 言葉もないと言った様子が愛おしくて、手を伸ばして頬に触れた。
 殿下と初めてのスキンシップだろうか。

「疲れてしまうだろう?……公爵たちが来るまで休んでいなさい」

 陛下は義理のお父様になってくださる予定の方。
 こんなに優しい人だと知ることができたのだから、この事故にも意味はあったのかな——。

 お父様とお兄様が来るまで、私はまた瞼を閉じることにした。
 二人が見守ってくださる安心感を感じながら——。
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