私の愛した彼は、こわい人
 朝の十時。ジンさんはすでに仕事に出ている。用事を済ませたら昼過ぎには帰ると言っていた。
 無音の状態では、またあれこれ考えてしまう。気を紛らわすためにテレビを見れば、番組はクリスマスムード一色だった。アナウンサーが、街ゆく人々にクリスマスの予定をインタビューしている。
 恋人と過ごすと言って幸せオーラを醸す女性だったり、仕事をして一日を過ごしますと苦笑するサラリーマンがいたり。キリストとは無関係なのでいつも通り過ごします、と冗談で答える男性もいた。
 とくに印象的だったのは、小さい子を連れた夫婦のインタビュー。子どものためにケーキを手作りして、サンタからのプレゼントを待ちながら家族で夜を過ごします、と話していた。
 奥さんも旦那さんも、幸せそうで。舌足らずな三歳くらいの男の子は、サンタさんから電車の玩具をもらうの、と満面の笑みで答えた。
 どこにでもいる、極普通の家族。両親とも優しそうで、愛情をたくさん受けて育っているであろう男の子の顔が脳裏に焼き付く。
 ──今の私には、決して手に入らない幸せ。どうしたって手の届かない、平穏で素敵な家族の形。
 お腹の子も、そう。それに……ジンさんもそう。
 極普通で当たり前の幸せすら、手に入れることはできないんだ。

 パッとテレビを消した。
 気が滅入る。もはや私の心はどん底で、闇に染められ、極限状態だった。
 フラつく体をどうにか起き上がらせる。吐き気と戦いながらパジャマを脱ぎ捨て、私服に着替えた。
 エネルギーを摂取しないと、歩くのすら難しい。唯一口にできるトマトスープを無理やり喉に流し込み、戻さないように必死に我慢した。
 鞄を手に持ち、スマートフォンとお財布だけを入れて。
 一枚の便せんに、彼への手紙を綴った。

 ──ごめんなさい。ジンさん。私は、このままあなたのそばにいることはできません。あなたには幸せになってほしいんです。あなたと再会できたおかけで、束の間の幸せを知ることができました。誰かを愛し、愛される喜びを知ることができました。本当にありがとうございます。一緒に過ごした日々は、この先もずっとずっと忘れません。さようなら、どうかお元気で──

 そう「別れの手紙」を書いて、テーブルに置いた。
 私は、いつもこうだ。一方的に別れを告げて姿を消す。
 それは、ジンさんが相手でも変わらなかった。たとえ心から愛する人でも変われなかった。
 静まる室内から背を向け、玄関のドアを開けた。
 どんなに力がなくても、彼のために止まってはいけない。
 涙を堪え、震える足で私はマンションを後にした。
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