私の愛した彼は、こわい人
「ったく。ニヤニヤしやがって」
「すみません。楽しくて、つい」
「……楽しい?」
「はい。すっごく楽しいんです。オーナーのおかげです」

 私が素直にそう伝えると、彼は自分の顔に手のひらを当てぷいっと背を向けてしまった。

「……もういい。会計するぞ」

 スタスタとレジに歩いていく後ろ姿は、なんだか忙しない。
 どうしたんだろう。もしかして、怒らせちゃったかな……?

「気を悪くさせてしまったなら謝ります」

 慌てて彼の後を追おうとした。
 そんなときだった──

『……アスカ……』

 ふと、背後から私の名を呼ぶ低い声が、聞こえた気がした。
 ……なに?
 反射的に足を止める。おそるおそる、振り返ってみると。
 買い物を楽しむ数人のお客さんと、品出しをする店員さんしか見当たらなかった。誰かが私を呼び止めた様子は、ない。
 ……気のせい。だよね?
 声を聞いて、一瞬ドキッとした。ちょっと胃の辺りが気持ち悪くなって、フラついてしまう。

「アスカ? 大丈夫か」

 異変に気付いたのか、彼がこちらを振り返る。
 手を差し伸べられ、私は反射的にその指先を握った。
 ……しっかりして。平気。平気だよ。空耳だから。気にしちゃ、ダメ。

「なんでもないです。ちょっと疲れちゃったのかも」
「さっさと帰って休むか」
「はい」

 セルフレジに手こずる彼のサポートをしながら会計をする。金額は三千五百円。彼がクレジットカードで精算をした。

 大丈夫。私には用心棒の彼がいてくれる。なにも心配はいらない。
 心の中で何度も「大丈夫」と唱えた。
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