失恋相手と今日からニセモノ夫婦はじめます~愛なき結婚をした警視正に実は溺愛されていました~
「でも、だったらどうしてあんなふうに男性のこと言いあてていたんですか? 席を移動したり、グラス一杯で長居したりとか……」

 その場面を光輝さんは目撃していなかったはずだ。彼は前を向いたまま答える。

「たいした話じゃない。彼のいた席にはコースターがなかった。トールグラスで出しておいて、コースターを出さないバーじゃない。グラスだけ持って移動したんだろう。さらにはそのトールグラスもかなり汗をかいて、中にあったはずの氷はほぼ形がなかった。時間をかけて飲んでいる証拠だ」

 言われてみれば納得できるが、そこまで気が回るものなのか。

「彼にお子さんがいるというのは?」

 一番の疑問を口にする。あの男性は子どもどころか家族の話などいっさいしていなかった。だから彼も驚いていたのだろう。けれど否定もしなかった。

「ちらっと見えた彼のスマホの待ち受け画面は、子どもとの写真だったからな」

「でも、親戚の子どもとの写真って可能性とかもありませんか?」

 つい反論する。本気でそう思っているわけではないが、それだけで断言するには不十分だと感じた。

 光輝さんは軽く息を吐いた。

「大手商社の営業マンなら見た目や清潔感が大事になってくる。それなのに彼のスーツはずいぶんとくたびれていたし、シャツもよれていた。職業が嘘なのか、彼の代わりに気を使っていた人間がいなくなったのか。そしてグラスを持つ彼の左手の薬指には指輪をはめていた跡がかすかにあった」

 口を挟む余地はいっさいない。彼の職業を忘れていたわけじゃない。けれど、こんなにも一瞬でさまざまなことを見抜けるものなのか。
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