失恋相手と今日からニセモノ夫婦はじめます~愛なき結婚をした警視正に実は溺愛されていました~
 光輝さんが食べなくても恋人や誰かほかの人にあげてもらえばいい。さすがに今回は捨てられたりしないだろう。

 自嘲的な思考を振り払い、おしゃれなエントランスに足を踏み入れると、男性のコンシェルジュが待機していた。まるでホテルに来たかのようだ。彼に名前と光輝さんの部屋番号を伝え、つないでもらう。

 いなかったら、コンシェルジュに託してこのまま帰ろう。

「山口さま。どうぞ、奥のエレベーターへ」

 しかし、私の目論見など知る由もなく、穏やかに声をかけられ拒否するのもできずおとなしく指示に従う。

 光輝さんの部屋のある二十階しかエレベーターは停まらない設定で、セキュリティがあまりにもしっかりしていて驚く。

 私のアパートとは大違いだ。仕事柄、防犯は気になるだろうし、プライベートはきちんと確保したいのだろう。エレベーターが上昇するにつれ増え続ける数字をぼんやり見つめながらも、どこか夢心地だ。

 あっという間に二十階に着き、足に力を入れて一歩踏み出す。ぎゅっと紙袋の紐を持つと、丸い缶が袋の中でわずかに転がる。部屋番号を何度も確認し、ドアのチャイムを押した。

「こんばんは。昨日はご迷惑をおかけしてすみません」

 ドアが開いた瞬間、私は頭を下げて謝罪の言葉を口にする。まともに光輝さんの顔が見られない。

「大丈夫だったか?」

 静かな声で心配され、おずおずと目線を上げる。

「はい」

 弱々しく返事し、紙袋を勢いよく彼へ差し出した。中の缶が揺れ、紐を持つ手が震える。
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