孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない
帰り道――

都会の夜はまだざわついていたけれど、二人の間に流れる空気は静かだった。

一条は、紬の手をそっと握ったまま歩いていた。
まるで、大切なものを傷つけないように、そっと、そっと扱うように。
その手には、無言の優しさと責任のようなものが宿っていた。

紬がぽつりと、「駅まで……」と言いかけた瞬間、

「家まで送ります」

遮るように、でも穏やかに一条がそう言った。
決して押しつけがましくなく、けれど揺るがない響きだった。

「……はい」

紬は自然と頷いていた。

付き合う前、彼女は基本的に誰にも家までは送らせなかった。
社交辞令の延長であっても、線を引くのが大人の礼儀だと思っていたし、
自分を守る手段でもあったから。

でも今は――違った。

自分から境界線を越えたいと思った。
一分でも、一秒でも長く、この人と同じ時間を歩きたい。

ただそれだけの気持ちだった。

遠くでタクシーが通り過ぎる。
信号待ちの間、手のぬくもりが少し強くなる。
ふと見上げたその横顔は、ビルの街灯に照らされて、どこか穏やかで、あたたかかった。

紬は、胸の奥でぽつりと呟いた。

――こんなふうに誰かと歩く夜が、こんなにも幸せだなんて、知らなかった。
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