孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない
加害者の男性が応接室から出ていった後も、しばらくの間、紬はその場から立ち上がれなかった。

心臓が喉元で脈打ち、汗ばんだ手のひらをそっと膝の上で握りしめる。

なんとか乱れた呼吸を整えてから、ゆっくりと席を立った。

オフィスに戻ると、周囲の空気が少し安心を与えてくれた。

上司の机の方を一瞥するも、誰にも声をかけられないまま、自分の席に腰を下ろす。

(……落ち着こう。もう、大丈夫。怒鳴り声も、圧迫感も、ここにはない)

机の引き出しから常備しているカモミールティーのティーバッグを取り出し、給湯室でお湯を注いで戻ってくると、ようやくほんの少しだけ体の緊張が緩んだ。

ふう、とひと息吐いたとき、ふと現実が蘇った。

(……次は、弁護士との面談)

湧き上がるのは、胸の奥にひやりとした不安。
そしてその弁護士が、一条隼人だということが、何よりも恐ろしかった。

(……また、あの人と話さなきゃいけないんだ)

冷たい目。無機質な声。
指先が触れたときのあの無反応さと、逆にこちらが拒絶してしまった瞬間の空気。

「怖い」――その一言が、頭の中で何度も反響した。

けれど、業務上やらなければいけないことは決まっている。
クライアントの不満を抑え、弁護士との同席で説明を進める。
それが、今の自分の役目だった。

紬は手元の資料を一枚ずつ確認し、応接でのやり取りを簡潔にメモに起こす。

上司への報告の下書きを終えたあと、ようやく意を決してパソコンの画面を開いた。

メールソフトを立ち上げ、新規作成をクリックする。
< 13 / 211 >

この作品をシェア

pagetop