孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない
自動ドアの開閉音が背後に遠ざかる。
ビルの外へ出た隼人は、夜の街に吹く秋の風を正面から受け止めた。

ネクタイを緩めることもなく、淡々とした足取りでタクシー乗り場へと向かう。

外気が頬を撫でるたび、会議室での淡々としたやりとりが思い出され、そこに宿ったわずかな緊張の残滓(ざんし)がふっと薄れていく。

帰宅後、上着を脱ぎ、シャワーを浴びた。
灯りを落としたリビングで、隼人はソファに体を預ける。

一日の喧騒を振り払うように目を閉じたその瞬間、ふと、紬の言葉が蘇る。

——何度でも愛を伝える。あなたと共に歩いていきたい。

その声は今も耳の奥に柔らかく残っていて、静かな夜にふわりと広がった。
思い出すだけで、胸の奥にぽっと温かな灯がともる。

誰かの言葉で、こんなふうに心が満たされる感覚。
これは初めてだった。

紬の言葉は、飾り気もなければ、駆け引きもなかった。
まっすぐで、ただ愛おしくて、隼人の奥底に届いた。

——愛って、なんだろうな。

考えるまでもなく、答えが浮かぶ。
愛とは、誰かの幸せを願うこと。

その人の幸せを自分の喜びとして、守りたいと願うこと。

自分を飾るためのものじゃなく、相手の笑顔に自分を捧げたくなるような気持ち。

隼人の中で、何かが確かに変わり始めていた。

弁護士として培ってきた冷静さや抑制、それらの奥に、別の「人としての輪郭」が見え始めている。

「……なるほど、これが……」

つぶやく声は、自分に向けたものだった。
この変化を、彼はまだ「愛」と呼ぶには照れくささがあった。

けれど、それが「彼女によってもたらされたもの」だという確信だけは、胸の奥に静かに刻まれていた。
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