孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない
オフィスの一角、ガラス張りの会議室にて――。

「一条先生、少しお時間よろしいでしょうか」
人事部の課長が硬い表情で声をかけた。

手渡されたのは、岩崎についての社内調査報告と、処分案。
一条は静かに書類に目を通し始めた。
淡々と進む視線が、ある一節でふと止まる。

(……これは)

そこには、紬本人からの聞き取りで明らかになった、より深刻なセクハラの実態が記されていた。
あの夜、彼女が語らなかった、言葉にならなかった被害。

個室での身体的接触の強要や、飲み会の場での人格否定を含むパワハラ発言、無理な時間外業務への誘導。
それらが、証言とともに、淡々とした筆致で並んでいた。

書類の最後には、処分案――懲戒免職と記されていた。

(……当然だ)

それは感情ではなく、法的な見地から見ても、妥当で妥協の余地のない結論だった。
免職という厳しい処分は、会社としての姿勢を示すことにもなる。

仮に岩崎が不服申立てを行い、会社を相手に訴訟を起こしたとしても、
弁護は企業側の顧問弁護士――
すなわち、一条の事務所が担うことになる。

全て、筋書き通り。

一条は、書類を閉じて顔を上げた。

「なんの問題もありません。深刻なセクハラやパワハラには、厳格に対処し、組織の安定化を図ってください」

冷静に、簡潔に告げる。

立ち上がった一条のスーツの裾が軽く揺れた。
会議室を出た彼の背に、ため息混じりの安堵と、ある種の緊張感が人事担当の目に残った。

オフィスビルを出た一条は、冷たい秋風を顔に受けながらも、その表情を崩さなかった。
心のどこかで、かつての彼自身もまた、誰かに踏み込まれずに生きてきたことを、ふと思い出していた。
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