孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない
オフィスフロアを出て、一階のロビーを並んで歩く。
隣にいるのに、少し距離があるような、けれど決して遠くはない――そんな、不思議な間合いだった。

無言のまま自動ドアに差し掛かろうとしたその時。
「一条さ〜ん」
どこか作ったような甘ったるい声が、ロビーの静けさに浮いた。

足が止まる。
紬は思わず横目で一条を見ると、彼は声のする方へ無言のまま振り返った。

そこにいたのは、長い髪にばっちりとメイクを決めた、華やかな雰囲気の女性だった。
美人だ。だけど、その目はどこか、他人を試すような色を含んでいた。

「一条さん、お見送り? そんな大事なクライアントなの?」

女性の視線が、紬を上から下まで品定めするように滑る。
その無遠慮な目に、胸の奥がすっと冷えた。

一条が「いや、仕事の……」と何か言いかけたところで、
「隼人くん、今日もごはん連れてってよ。最近、全然行けてないじゃない」
女性が間髪入れず甘えるように言った。

紬の胸がちくりと痛む。
“隼人くん”と呼ぶ親しげな響きと、並んで歩いていたこの数分間が、急に色褪せて見えた。

彼女かな――。
紬は何かを察し、背筋を伸ばすと、一条の方を見ずに言った。

「一条さん、今日はこれで失礼します。本日は迅速なご対応、ありがとうございました」

きちんとした声で、きちんと頭を下げて。
そのまま、一条とも目を合わせずに、会社のエントランスを後にした。

まるで、その場に一滴の冷たい水を落としたように、静かな余韻だけが残った。
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