孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない
大橋の一件は、一条の的確な判断と交渉によって、ようやく収束の兆しを見せていた。
会議室の壁時計が、夜の七時を少し回った時刻を指している。

一条は無言で、机の上に広げていた書類を丁寧に束ね、ノートパソコンの電源を落とす。
静かに閉じられた画面に、今日という長い一日がようやく終わる空気が漂っていた。

「突然の対応、本当にありがとうございました」
紬は姿勢を正し、深々と頭を下げた。

一条は視線だけで彼女を捉え、小さくうなずく。
「……この後、直帰ですか?」

「あ……」
紬はスマートフォンに届いた通知をちらりと確認し、うなずいた。
「はい。今日はこのまま帰宅になります」

その返答を聞くと、一条はわずかに間を置いてから、ぽつりと口を開いた。
「それなら、一緒に食事でもどうですか?」

えっ、と紬の目がわずかに揺れる。
けれど、次の瞬間には反射的に――

「……はい」

自分でも驚くほど自然に、その言葉が口からこぼれていた。
戸惑いと、小さな高鳴りが胸の奥に灯る。
目の前のこの人の、何気ない言葉に、なぜこんなにも心が動くのだろう。
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