孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない
紬は、一条の問いかけに、声を絞り出すように答えた。

「……新人の頃、担当部署に配属されて、最初に指導を受けたのが、岩崎さんでした。上司として、教えてもらう立場だったから……強く出られなくて……」

途切れ途切れの言葉を繋ぎながら、視線はずっと手元に落ちていた。
自分の手がかすかに震えていることにも、もう気づかなくなっていた。

「そのあと異動になって、離れて……やっと、関わらなくて済むようになったのに」

ふ、と目に涙がにじむ。

「今日、たまたま…2人で行動することになって、社用車の中でも、くだらないセクハラ発言ばかりで……」

一条は黙って聞いていた。
表情は変えず、けれど鋭い目つきは、そのひとつひとつの言葉を決して聞き漏らさない。

紬は、喉の奥を詰まらせながら、さらに言葉を続けた。

「月島のビルの、エレベーターの中でも……腰に、手を回されて……っ」

堪えきれず、声が震え始める。

「そして、さっきの応接室では……机の下で……足を……私の脚に這わせてきて……っ……!」

言葉にした瞬間、それが現実だったと、改めて胸に突き刺さる。

目の前の空気が歪んで、視界がぼやける。
声が止まらなくなる。
涙が、ぽろぽろとこぼれ落ち、ついに紬は、椅子に座ったまま、子供のようにしゃくり上げた。

「なんで……私、また……何もできなかったんだろう……っ、何も言えなかった……怖くて……」

無様な姿だと思った。
でも、もうどうすることもできなかった。

そのとき――
机の上からティッシュの箱をそっと取って、一条がそれを紬の前に置いた。

言葉はなかった。
ただ、静かに、そっと。

見下すでもなく、哀れむでもなく。
それは、紬の尊厳を守るような、優しい仕草だった。

彼のまなざしには、静かな怒りと、そして揺るがない信頼があった。

(私を、責めていない……)

そのことに、また涙が溢れた。
けれど今度は、少しだけ、心がほどけた涙だった。
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