孤高の弁護士は、無垢な彼女を手放さない
グラスの中のワインがゆっくりと揺れていた。
淡い照明に照らされるその赤い液体を見つめながら、紬はそっと口を開いた。

「……私、新人の頃にセクハラ被害に遭ってから、ちょっと、男性恐怖症みたいなところがあって」

声は控えめだったが、言葉を絞り出すように続けた。

「仕事中に近くで座らなきゃいけなかったり、大きな声で話しかけられたりすると……どうしても動揺してしまって。

普通の人なら気にしないようなことでも、私にはすごく怖く感じてしまうんです。

たぶん、あまりに過敏になりすぎて……倒れたりしちゃうんでしょうね」

自嘲気味に笑いながらも、どこか素直なその言葉に、一条は真剣な眼差しを向けていた。

「でも……」と紬はふっと視線を一条に向けた。
「一条さんは、なぜか怖くないんです。

こうして話していても……なんだか、不思議ですね」

その笑顔には、ほんの少しの照れと、心からの安心が混ざっていた。

一条はしばらく黙ったあと、穏やかな表情を浮かべながら小さく頷いた。

「……なるほど。合点がいきました。だから、初めの頃、書類の受け渡しで……あなたがどこか怯えたような目で、私を見ていたんですね」

その記憶をたぐるような口調に、紬は目を見開いたあと、あわてて軽く頭を下げた。

「そ、その節は……失礼いたしました」

「いえ」一条はすぐに首を振って、目を細めた。
「私の方こそ、冷たく接してしまいましたから」

少しだけ照れたように、しかしどこか安堵したように紬が微笑む。

そして2人の間には、静かであたたかい空気が流れていた。

店の窓の外では、夜の街の灯が柔らかく瞬いている。まるで、遅れて咲いた信頼の芽をそっと見守っているかのように。
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