不器用なプロポーズ
彼と私の決意と
「尚悟のやり方は、決して褒められたものではありません。想っているという理由があったとしても、貴女の意思を無視し、強制的に連れ去った事には変わりがない。貴女が今すぐ帰りたいと言うのなら、私がそう出来る様手配しましょう。しかし、もしほんの少しでも、貴女の中に尚悟を想ってくれる気持ちがあるのなら……」
そこまで言って、安近さんは申し訳ないといった風に苦く微笑った。
身内の欲目だからか、こんな風に暴走する彼を窘め諫めるべきなのに、そう出来ないのだと、謝罪と共に私に告げる。かつて見たあの一瞬の呟きと同じ様に柔らかく笑む彼はやはり、三嶋社長の肉親なのだろう。
そんな安近さんを前に、私は一つの決意を胸に秘め、言葉を織りなす。
「三嶋社長と私が交わした契約は、一週間です。それを破ることはしません。最終日を含めて後二日。あと二日は……ここに居ます」
安近さんは、約束を必ず守ってくれる人だ。この人はそういう上司だった。
だから先程言った事は絶対に叶えてくれるだろう。
けれど、私は今三嶋社長の元を離れるわけにはいかないし、そのつもりも無かった。
話さなければいけない事がたくさんあり過ぎて、まだ明確には纏まっていないけれど、それをやり終えるまでは私は彼の傍に居なければいけない。
だから静かに首を振りながら告げた私の答えに、安近さんが心底嬉しそうに頷いてくれた事は、これから私がしようとしている事への激励にも思えて嬉しくなった。
安近さんが彼を思うのとはまた違った形で。
私も、彼の事を想っているのだから。
ガチャリ、と硬質な音が響き扉が開く。
コツコツと本人と同じく几帳面な靴音を鳴らしながら、三嶋社長が部屋へと入ってきた。
どこか緊張した面持ちなのは、まだ彼が昨夜の事を引き摺っているからなんだろう。
早く伝えてしまいたいという思いと同じく、今の頑なな彼には私の言葉が届かないだろうことも理解していた。
安近さんは既にこの部屋からは立ち去っている。彼は去り際に、私にいくつかの説明を付け足した。
今日安近さんが私の元に来ている事を、三嶋社長は知らないという事がまず一つ。
(私は知らなかったけれど再び外出していたらしい)また、その外出理由についても説明を受けた。
三嶋社長が外出している理由については……少し、安近さん自身に関わる話でもあり、聞いた時は少し胸が痛んだ。
そんな中にありながら、気にしてこうやって彼の手帳を手に来てくれたのかと思うと、本当に頭の下がる思いだった。
安近さんが退職した当時はその理由を聞かされていなかったので、仕方ないと言えばそうなのだろうけれど、あの突然の退職にはそういった・・・奥様の病についての理由があった事を、今更ながら知り納得と同時に苦しくなった。
このホテルは、安近さんの奥様が入院している病院にほど近い場所らしい。
「尚悟が貴女を連れてくる場所としてここを選んだのも、そういう理由があったからです」と安近さんは少し嬉しそうに、けれど申し訳なさそうに私に言った。
この三嶋社長との契約期間が過ぎた後、お見舞いに行ってもいいか尋ねたら、「楽しみにしています」と答えてくれたのでほっとした。
出来る事ならすぐにでも伺いたい気持ちはある。けれど、その前に、安近さんも、そしてその奥様も大切に思っているであろう彼の―――。
三嶋社長との事を、私ははっきりさせなければいけなかった。
ベッドの横に腰かけている私から少し離れた場所で、三嶋社長が立ち止まる。
不安なのか、後悔なのか、薄く揺らめく瞳は私自身からは逸らされていて、その事が少し寂しい。
その目を見つめ返しながら、彼の言葉が発せられるのを静かに待った。
「……体調は、大丈夫か」
「大丈夫です。私、結構頑丈な方ですし」
瞳と同じく不安気な声に、ふっと微笑んで返事を返すと、逸らされた瞳がこちらに振り向き見開かれた。
こっちを見てくれたのが嬉しくて、そしてその仕草が、どうしようもなく可愛く思えて、くすりと小さく笑みを零す。
三嶋社長の手帳に記されていた、かつての私が彼のこんな姿を目にしたら、一体何と言っただろう。
いや、予感はあったのだと思う。恐らく、彼と初めて出会った時に。確実に。
「君、は……」
私の態度が不思議なのか、三嶋社長が何か言いたげに唇を薄く開閉させる。たぶん、続く言葉は音にはならないだろう。
そういう人だ。暫定的な好意を伝える言葉は口にするのに、それ以外の心を示す言葉を口にすることは、中々無い。
ここに来てからは随分言ってくれた様に思うけれど、それでも七年の間は全く無かったのだ。
だけどちゃんと、彼は態度で示してくれていた。離したくないと連れ去ってまで。
引きとめたいと、閉じ込めてまで。
すっと立ち上がった私の前で、三嶋社長の身体が大きくびくりと反応を示す。私など、見下ろす高さの背がある人なのに。
黒い髪、黒い瞳の、冷たげにさえ見える人なのに。
怯えている様にさえ見える彼の元へと少し近づく。
強張るその大きな身体に、思わず手を伸ばしてしまいそうになる気持ちを堪えて、口を開いた。
「……私、ここに居ます。最初にお話した期日までは、絶対に」
だから、安心して。
続いた言葉は、声にしないで微笑んだ。
三嶋社長はどう返事をしていいのか迷っている様だった。
昨夜とは違う、なぜ、という感情を含んだ彼の顔。
戸惑いながらも、嬉し気な感情も乗せた彼の表情に私はふんわり安堵して、もう一度、同じ言葉を口にした。
「ここに居ます。まだ、貴方と一緒に」
私の言葉に、彼が一瞬泣き出しそうな顔をして、そして、「ありがとう」と小さく呟いた。
―――彼の声は少し、震えていた。
そこまで言って、安近さんは申し訳ないといった風に苦く微笑った。
身内の欲目だからか、こんな風に暴走する彼を窘め諫めるべきなのに、そう出来ないのだと、謝罪と共に私に告げる。かつて見たあの一瞬の呟きと同じ様に柔らかく笑む彼はやはり、三嶋社長の肉親なのだろう。
そんな安近さんを前に、私は一つの決意を胸に秘め、言葉を織りなす。
「三嶋社長と私が交わした契約は、一週間です。それを破ることはしません。最終日を含めて後二日。あと二日は……ここに居ます」
安近さんは、約束を必ず守ってくれる人だ。この人はそういう上司だった。
だから先程言った事は絶対に叶えてくれるだろう。
けれど、私は今三嶋社長の元を離れるわけにはいかないし、そのつもりも無かった。
話さなければいけない事がたくさんあり過ぎて、まだ明確には纏まっていないけれど、それをやり終えるまでは私は彼の傍に居なければいけない。
だから静かに首を振りながら告げた私の答えに、安近さんが心底嬉しそうに頷いてくれた事は、これから私がしようとしている事への激励にも思えて嬉しくなった。
安近さんが彼を思うのとはまた違った形で。
私も、彼の事を想っているのだから。
ガチャリ、と硬質な音が響き扉が開く。
コツコツと本人と同じく几帳面な靴音を鳴らしながら、三嶋社長が部屋へと入ってきた。
どこか緊張した面持ちなのは、まだ彼が昨夜の事を引き摺っているからなんだろう。
早く伝えてしまいたいという思いと同じく、今の頑なな彼には私の言葉が届かないだろうことも理解していた。
安近さんは既にこの部屋からは立ち去っている。彼は去り際に、私にいくつかの説明を付け足した。
今日安近さんが私の元に来ている事を、三嶋社長は知らないという事がまず一つ。
(私は知らなかったけれど再び外出していたらしい)また、その外出理由についても説明を受けた。
三嶋社長が外出している理由については……少し、安近さん自身に関わる話でもあり、聞いた時は少し胸が痛んだ。
そんな中にありながら、気にしてこうやって彼の手帳を手に来てくれたのかと思うと、本当に頭の下がる思いだった。
安近さんが退職した当時はその理由を聞かされていなかったので、仕方ないと言えばそうなのだろうけれど、あの突然の退職にはそういった・・・奥様の病についての理由があった事を、今更ながら知り納得と同時に苦しくなった。
このホテルは、安近さんの奥様が入院している病院にほど近い場所らしい。
「尚悟が貴女を連れてくる場所としてここを選んだのも、そういう理由があったからです」と安近さんは少し嬉しそうに、けれど申し訳なさそうに私に言った。
この三嶋社長との契約期間が過ぎた後、お見舞いに行ってもいいか尋ねたら、「楽しみにしています」と答えてくれたのでほっとした。
出来る事ならすぐにでも伺いたい気持ちはある。けれど、その前に、安近さんも、そしてその奥様も大切に思っているであろう彼の―――。
三嶋社長との事を、私ははっきりさせなければいけなかった。
ベッドの横に腰かけている私から少し離れた場所で、三嶋社長が立ち止まる。
不安なのか、後悔なのか、薄く揺らめく瞳は私自身からは逸らされていて、その事が少し寂しい。
その目を見つめ返しながら、彼の言葉が発せられるのを静かに待った。
「……体調は、大丈夫か」
「大丈夫です。私、結構頑丈な方ですし」
瞳と同じく不安気な声に、ふっと微笑んで返事を返すと、逸らされた瞳がこちらに振り向き見開かれた。
こっちを見てくれたのが嬉しくて、そしてその仕草が、どうしようもなく可愛く思えて、くすりと小さく笑みを零す。
三嶋社長の手帳に記されていた、かつての私が彼のこんな姿を目にしたら、一体何と言っただろう。
いや、予感はあったのだと思う。恐らく、彼と初めて出会った時に。確実に。
「君、は……」
私の態度が不思議なのか、三嶋社長が何か言いたげに唇を薄く開閉させる。たぶん、続く言葉は音にはならないだろう。
そういう人だ。暫定的な好意を伝える言葉は口にするのに、それ以外の心を示す言葉を口にすることは、中々無い。
ここに来てからは随分言ってくれた様に思うけれど、それでも七年の間は全く無かったのだ。
だけどちゃんと、彼は態度で示してくれていた。離したくないと連れ去ってまで。
引きとめたいと、閉じ込めてまで。
すっと立ち上がった私の前で、三嶋社長の身体が大きくびくりと反応を示す。私など、見下ろす高さの背がある人なのに。
黒い髪、黒い瞳の、冷たげにさえ見える人なのに。
怯えている様にさえ見える彼の元へと少し近づく。
強張るその大きな身体に、思わず手を伸ばしてしまいそうになる気持ちを堪えて、口を開いた。
「……私、ここに居ます。最初にお話した期日までは、絶対に」
だから、安心して。
続いた言葉は、声にしないで微笑んだ。
三嶋社長はどう返事をしていいのか迷っている様だった。
昨夜とは違う、なぜ、という感情を含んだ彼の顔。
戸惑いながらも、嬉し気な感情も乗せた彼の表情に私はふんわり安堵して、もう一度、同じ言葉を口にした。
「ここに居ます。まだ、貴方と一緒に」
私の言葉に、彼が一瞬泣き出しそうな顔をして、そして、「ありがとう」と小さく呟いた。
―――彼の声は少し、震えていた。