ダイニングに洋書を飾る理由 - 厳しすぎる室長が、やたら甘い

第七話 「オンとオフ」

 神保町の裏通りにある、小さなギャラリーカフェを訪れた。

「写真展って、来たことある?」

 真鍋の問いかけに、沙耶は首を振る。

「ほとんどないです。こういう場所」

「ここ、毎回、素敵な写真展示してるんだ。部屋を飾るのにいい写真があるかも」

 そう言って微笑む彼の目元に、どこかいたずらっぽさがにじんでいる。

 展示されていたのは、ヨーロッパの田舎町を巡る旅の写真。
 街角にたたずむ猫、歴史を感じる石畳、川岸にある無人のベンチ、傘の柄にかかったコート。
 どれも何気ない日常の風景なのに、何か物語を感じさせる写真だった。

「……こういうの、好きです」
 沙耶がぽつりと言うと、真鍋は少しだけ顔を向けた。

「平日は、仕事に追われているから……こういう“日常を切り取った写真”って、何だか、落ち着きますね」

 展示を出たあと、ギャラリーに併設されてたカフェに入った。
 窓際の席で、二人はラテとチーズケーキを前に、肩の力を抜いたように話す。

「……なんか、不思議ですね」
 沙耶が言う。

「何が?」

「今の自分が、いつもの自分と違う気がして」

「いつもの自分って?」

「職場では、もっとちゃんとしてて。目的とか効率とかを考えて。言葉も選んで。
 でも、今の私は、少し抜けてるというか、言いたいことをそのまま言ってる感じで……」
 沙耶は、ふっと笑った。

「それって、悪いこと?」

「……いえ。むしろ、心地いいです」

 真鍋は、手元のカップをくるくると回しながら、静かに言った。

「僕も、同じかもしれない。
 仕事してる時の自分が“自分の全部”だと思ってたけど……最近、そうでもないんじゃないかって思い始めてる」

 その言葉に、沙耶はゆっくりと視線を上げた。
 コーヒーの香り。夜の街のざわめき。彼の声。
 すべてが、柔らかくて、静かで、どこか距離が近かった。

「……私、またこういう時間、過ごしたいな」
 そう言った自分の声が、少しだけ震えていた。

「また来よう。僕も、そう思ってた」

   ◇◇

 帰り道、駅のホームで別れるとき。
 彼は何も言わず、そっと沙耶の手を握った。

 言葉がなくても、気持ちは伝わる。
 そんな夜だった。
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