キスしたら、彼の本音がうるさい。
偶然の顔して、あなたを待ってた
あの日、名前を呼び合ったことで、何かが少しだけ変わった。
目が合うたび、交わす言葉がほんの少し増えた。
無言だったLINEのやり取りにも、スタンプだけじゃない短い言葉が返ってくるようになって。
瑛翔のInstagramのストーリーに、「あ、あの景色」と気づく投稿を見つけたり、
私が紹介した本に、そっと「いいね」がついていたり。
ゆっくりと、でも確実に、季節が変わるように──
秋の終わりとともに、二人の距離も、すこしずつ近づいていった。
そして今日。
少し巻いた髪を、横でゆるく編み込んで。
白いニットに、ロングスカート。
ただ…たまたま本を見に来ただけ──本当は、それだけじゃない…。
「……今日その本、目当てだったりする?」
玲奈の問いに、月菜はぎこちなく首をすくめた。
「え、べつに。たまたま立ち寄っただけだよ?」
「ふうん。たまたま…で、その髪型と服装?」
「なっ……っちが……」
「はいはい、図星だったら黙るって分かってた。ほら、ゆるく巻いた髪を横で編み込むハーフアップ。しかも白のニットにロングスカートって。これ、完全に“偶然を装った戦闘服”じゃん」
「う……そんなつもりじゃ……」
玲奈はため息まじりに笑って、スマホをいじりながら言った。
「私はこのあと近くのコンビニ寄るから、あんたはあんたで本見てきな。もし遭遇したら、知らないふりで」
「……うん、ありがとう」
「ていうかあんた、顔に出すぎ。そんなんじゃ今日何人の人に“かわいい”って噂されるか分かんないよ?」
月菜はうつむきながら、書店の奥へと歩いていった。
正直、少し気合いは入れてきた。
巻いた髪も、服も、鏡の前で何度も確認してから家を出た。
でも、それは“偶然”のため。
“期待しすぎない”ようにって、自分に何度も言い聞かせてきた。
けれど。
棚の向こうに、見慣れた後ろ姿があった。
──いる。
静かに本をめくる姿。黒のタートルネックに、グレーのウールコート。
まるで街の騒がしさだけが、彼の周囲を避けているみたいだった。
「……瑛翔?」
名を呼ぶと、ページをめくる手を止めて、彼はゆっくりと顔を上げた。
「……ああ」
「偶然だね」
「……まあ」
一瞬視線を逸らして、また戻ってくる。
その目が、少しだけやわらかく見えた。
「その本、読むの?」
「おまえが紹介してたやつ、だろ?」
「え……うん……SNSでちょっと」
「……それ見て気になったから」
《……今日の髪型、反則だろ。何その編み込み……いや、あの白ニットも……かわいすぎるんだよ……》
ふいに、瑛翔の心の声が聞こえてきた。
甘く、戸惑い混じりの響き。
でも、いつもよりどこか、かすれている。
月菜は、その声に胸がきゅっとなった。
「……ありがとう。うれしい」
口にすると、彼はほんの少しだけ頷いて、本に視線を戻す。
と、その瞬間──近くにいた男子学生グループが、ヒソヒソと囁いた。
「え、あの子めっちゃかわいくね?」
「白ニットの子、雰囲気やばい」
月菜は赤くなって、そっと下を向いた。
そのとき。
《……見んな。声に出すな。視界に入るな。おまえら全員、別の棚行け……》
月菜は思わず、吹き出しそうになる。
けれど彼は表情ひとつ変えず、本のページをめくっていた。
「……レジ行く?」
「うん」
ふたり並んで歩くと、何人かの視線が背中に突き刺さった。
そのたびに瑛翔の心の声が《……月菜は俺のことだけ見てろ》と唸る。
外に出ると、冬の風がふわりと前髪を揺らした。
「……私、玲奈に連絡してくるね」
月菜がスマホを取り出したときだった。
「おーい、そこの白ニットー」
玲奈がすぐ近くから現れて、月菜の背中を軽く叩いた。
「え、早くない?」
「うん。あんたがあまりに“乙女モード”発動してたから気になって、店の隅から見てた」
「見てたの!?」
「うん。で、そこの神谷くんが“月菜”って呼んでるのも聞いた」
瑛翔は黙っていたが、ほんのわずか、眉が動いた。
「初めまして。三好玲奈、月菜の保護者です」
「……神谷瑛翔」
玲奈はじろりと瑛翔を見て、小さく鼻を鳴らした。
「ふーん……見た目通り、“王子”って感じ」
「……そっちは“姐さん”って感じだな」
玲奈は目を細めて、口元だけ笑った。
「月菜のこと、よろしくね」
その言葉に、瑛翔はほんの少しだけ視線をそらし、静かにうなずいた。
《……“よろしく”って、何をだよ……こえぇ……でも、悪くないな……》
月菜はそんな声を聞いて、小さく笑った。
そして、ふと思った。
──聞こえるこの声が、ずっと続けばいいのにって。