キスしたら、彼の本音がうるさい。
「あ、いた…」
合同講義の勉強を一緒にする約束をしていたため、図書館で会う約束をしていた。
入り口から中を覗くと、、すでに窓際の席に座っていた瑛翔が、ゆっくり顔を上げた。
「……来た」
そのたった一言なのに、口元がふっとほころぶのを見て、思わずこっちも笑ってしまう。
《今日も……やばい。なんでそんなに可愛い顔で笑うの。反則だって……》
──ああ、聞こえてる。
今日も、ちゃんと聞こえてる──瑛翔の、甘すぎる心の声。
隣に座ってペンを取ると、机の上で手がほんの少しだけ触れた。
《あっ……いま、手触れた……ちょっと待って、心臓やばい。繋ぎたい……てか、もう繋いでしまいたい……!》
手を引っ込めるのが惜しくて、つい、そのままペンを取り違えたままにしてしまう。
「……これ、私の……」
「ん? ……あ、ごめん」
瑛翔の手が私のペンをそっと返してきたとき、指先がまたかすかに触れた。
《うわ、いまの偶然? わざと?いやどっちでもいい。嬉しい……もう、これ手、繋いでいい?やっぱ無理。理性保て!俺!》
机の下で、こっそり膝をつねる。
落ち着け、私──こっちまで爆発しそう。
しばらく、ふたりで静かにページをめくる時間。
でも、心の中はとてもじゃないけど、静かじゃなかった。
《ちょっと髪触っていい?ダメだよな。てか今日、横顔がきれいすぎる……。横髪が下を向くとサラサラって落ちてきて、思わず見惚れてしまう…何この距離……吸い寄せられそう……》
もうページが目に入ってこない。
「……ねえ、瑛翔」
「ん」
「最近さ、“会いたくなったから来ちゃった”って言ってみたくなる時があるんだけど……変?」
瑛翔の目が、かすかに見開かれた。
《はぁぁぁ〜〜〜!?何そのセリフ。やばい。死ぬ。心臓つかまれた。ちょっと本閉じていい? 今すぐ抱きしめてもいいですか?》
「……なに、急に」
「べつに。言ってみたかっただけ!」
《言われたい……毎日言われたい……むしろ言わせたい。お願い、もう一回言って……。お願いします……》
横目でちらりと見ると、彼はただペンを握ったまま、平然とした顔で前を見ていた。
でも、頭の中ではこんなにも甘々な嵐が吹き荒れてる。
──ずるい。知らない顔して、そんなこと思ってるなんて。
その後も少しだけ問題集を解いたけれど、もはや集中力など残っていなかった。
私が軽くため息をつくと、彼の視線がゆっくりこちらへ向く。
「疲れた?」
「うん……ちょっとだけ」
《抱きしめたい……けど図書館……無理……でも抱きしめたい……》
「そろそろ、出ようか?」
「うん……」
立ち上がったとき、私のリュックの紐がずり落ちて、彼の手がそっと持ち上げた。
「落ちそう」
「……ありがとう」
《あああ……いまの何……優しく触れた……可愛い……リュックになりたい……いや月菜を俺が背負いたい》
思わず吹き出しそうになって、慌ててうつむく。
階段を降りるとき、ふと、隣で歩く彼を見上げた。
「……ねえ、瑛翔」
「なに?」
「瑛翔から名前で呼ばれると、なんかドキッとするんだよね。……今日も、少しした」
足を止めた瑛翔が、一拍遅れて言う。
「月菜」
「えっ……」
《やばい、やばい、やばい……呼んだ俺がドキドキしてる……何この顔。可愛いがすぎる……なにその反応……え、もう無理、抱きしめたい……》
「な、なに今の……いきなり呼ばないでよ……」
「おまえが言ったんだろ」
《また呼びたい。ずっと呼びたい。寝言でも呼びたい》
「……ほんとに、ずるい」
「なにが?」
「なんでもない!」
──その声、ずるすぎる。
聞こえてるこっちが、もう先に恋に落ちてしまいそう。
階段を降りきって、図書館の自動ドアを抜けたとき。
隣に並ぶ瑛翔の手が、ふと私の指先に触れた。
偶然か、わざとか──その境界ももう曖昧で。
《いま、手、繋ぎたかった……》
──じゃあ、繋いでよ。
月菜は心の中で、誰にも届かない小さな声を呟いた。