キスしたら、彼の本音がうるさい。
◇神谷瑛翔◇

──最近、月菜の様子が、少しだけ違う気がする。

俺の前では、笑ってる。
会えばいつも通りに話すし、ぎこちないわけじゃない。

だけど、どこか遠く感じる。
手を伸ばしたら、届く距離にいるのに。

あの日を境に、彼女は静かになった。
いや、もとから月菜は多くを語らないタイプだったけど……
今の静けさは、まるで“俺にだけ聞こえない音”で話されてるような感覚だ。

──彼女が、本当に考えてること。
何を不安に思って、何に傷ついてるのか。
そういうものを、ずっと――俺は知らなかった。

今日、偶然見かけた。
駅ビルのパン屋のカウンター越しで、彼女が制服を着て笑っていた。

その向かいにいたのは、明るい髪の男。俺と違って、人懐っこそうな声と、柔らかい雰囲気。
なにより――月菜が、その男の前で、少しだけ楽しそうに見えた。

胸の奥が、きしむ音を立てた。
誰だよ、あいつ。
なんで、あんなふうに普通に彼女の笑顔を引き出せるんだ。
俺は、どれだけ近くにいても、何ひとつ言葉にできないっていうのに。

──悔しい。

その男に、“先に言われた”気がした。
彼女が、欲しかった言葉を。

言葉ひとつで、こんなにも差がつくのか。
こんなにも、簡単に……奪われてしまうのか。

俺には、“言わなきゃいけないこと”が、山ほどあるのに。

でも──今さら、どうすればいい?

俺の中にあるこの気持ちは、ちゃんと伝えられるんだろうか。
彼女に、届くんだろうか。

──怖い。

だけど、怖がってるうちに、全部失う気がして──

今は、それがいちばん、怖い。

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